先日、家族で晩ごはんを食べていたときのことです。

 

「県庁所在地を今でもちゃんと覚えているか」

 

という話題になりました。

 

夫と息子は歴史マニアなので、

県庁所在地どころか、紀伊の国とか、阿波の国などといった旧国名や、藩名まで言えてしまえる人たちです。

 

私は、学生時代から、地理が苦手で。

(まぁ苦手なのは地理だけに留まらなかったですが)

 

そして小学6年生になる娘といえば。

残念なことに私に似たのか、去年習ったばかりのはずの県庁所在地がもう、大分忘れてしまって頭に入っていない。

と、言い出しました。

 

「じゃあ、試しに九州を全部言ってみ」

 

夫がそう切り出しました。

 

「鹿児島、長崎、大分・・・」

 

うんうん。

 

言えてる言えてる。

 

私も、自信はなかったので、心の中で一緒に読み上げていました。

 

でも、3つはスラッと出てくるのに、そのあとから出てきません。

 

私はムズムズしてきました。

 

ひとつ、思いついていたからです。

 

 

「ほらぁーあるやん、あそこあそこ」

 

しょうがないなー

 

そんなつもりで、答えを言ってあげました。

 

 

 

 

 

「佐川県」

 

 

 

 

 

その瞬間、私の隣に居た息子が天井を見上げて吹き出しました。


「ぶーーーーーーーーーーーーーっ笑い泣き笑い泣き笑い泣き


 それから、まるで悶絶するように、ひぃひぃ笑い泣き言って笑うのです。

 

 

私は、さっぱり意味がわからず、なぜ笑っているのか聞きました。

 

 

「それやと、佐川急便と一緒やん!」

「~?」

 

やっとの思いで笑いをこらえてそう言う息子の言葉を聞いても、

私はまだ意味が分からず。

 

 

でも、そういえば、佐川急便て、佐川県と同じ名前なんだなー。

くらいにしか思いませんでした。

 

 

まだ理解しない私に、息子はとうとう本当のことを言ってくれました。

 

 

 

 

「ママが言いたいのは、佐賀県やろ?」

 

 

 

 

その瞬間です。

 

 

まるで、目の前で指パッチンをされたみたいに、

「ハッ!!!ポーン

と我に帰ったのは。

 

催眠が解かれたように、それまで絶対あると信じ込んでいた「佐川県」が実は「佐賀県」だったと気づいたのでした。

 

 

この一連の私の言動に、家族一同が大爆笑笑い泣き

 

 

 

家にこもりっきりの息子も、

お腹を抱えて笑ってくれました。

 

 

 

いやぁ、私の無知も役に立つわあせる

なんて、楽しそうに笑う息子を見て思ってみたり。

 

 

 

それにしても、我ながらアホ過ぎて、

可笑しいやら情けないやらで、

翌日まで思い出し笑いして過ごせました。

 

 

 

 

それからもう一つ。

 

 

 

 

私のこんな無知っぷりはもちろん、夫と知り合った頃からそうだったのですが。

 

20代の頃は、四国も怪しかったのですね。

 

高知県のことは高松県だと思っていたし。

 

 

 

でもそれも、ずっと昔の話。

今はもう大丈夫。

 

「高松県じゃなくて、高知県高松市、やんね」

 

と20代の頃の私の無知っぷりを良く知る夫に振ったら、

 

「香川県高松市や!そんなん I が聞いたら怒るで!」

 

と、突っ込んできました。

 

I というのは、去年の秋に亡くなった、

夫のクライミングパートナーの「 I くん」です。

彼は、香川県出身でした。


 



そう、19年前のあのとき。

お互いの出身地の話になり、

私が四国にある県名のひとつを「高松県」と答えたときに、絶句して、怒られてしまった思い出があります。

四国の出身の者として、「高松県」は許せなかったようです。

 

そんな思い出話をとっさに思いだした夫。

 

未だに四国の県庁所在地が満足に言えない私を、

「 I にまた怒られるで」

と、あまりにサラッと言うので、私はちょっとびっくりニコして、でもそれからすぐに納得してしまいました。

 


 

I くんは、夫の心の中で、19年前の時を留めて、生きているんだなぁ照れ

 

 

 

亡くなった人が、

自分が死んだとき、何を一番悲しむって、

自分のことを忘れ去られてしまうこと、

って、聞いたことがあります。


だから、盆や彼岸や命日といった節目に、

故人のことを思い出す機会を作って、

亡くなった人を知る人たちが生きている限り、

その人のことを忘れないようにするのだと。

それが、「供養」の原点なのだと。

 

 

そうやって、故人を胸に、

一緒に、生きていくんですね。



亡くなった人は、

そうやって思い出の中に、生き続ける。

 

 

そのことは、生きている人にとって

その人が愛している人であればあるほど、

心の支えにもなる。




I くんは、きっとたくさんの人の記憶に、心に

今も生き続けていると思う。

夫の心にも、彼は常にいて、

日常の些細な会話の度に、

すぐ会える距離にいる人のように、名前や顔が思い出される人。

 

 

そのことを実感できて、

あぁ、本当に良かったなと思いました。

 

 


もちろん、私の中にも、ちゃんと居てます。

 

 

 

彼が私に与えてくれたメッセージについては、次の記事に書きたいと思います。