先日、旧友が亡くなっていたことを知りました。
それよりも約一月ほど前、もう一人、私の友人が亡くなったことを聞かされていました。
このことは、もう私の中ではすっかり気持ちに整理がついていますが、
何か、私の中の記録として、いつかちゃんとブログで文章に残しておこうと思っていたので、今日は記しておきたいと思います。
私の友人、と書きましたが、
そんな風に思えたのは、実は亡くなったことを知ってからのことで。
そして、気持ちに整理がつきやすかったのも、その方がご高齢で、死は、そう遠くない先にやってくるものだという覚悟が、どこかでできていたからでもあります。
Tさんは、私が以前、生協の配達ドライバーのお仕事をしている時に、
配達先のお客様(組合員さんと呼びます)として出会いました。
亡くなった時は、92歳だったと後から聞きました。
小柄で、笑顔の可愛らしい、そしてとてもお元気なおばあちゃんでした。
三人の息子さんは皆、独立して家を出られ、施設に暮らすご主人がいらっしゃり、生活はお一人住まい。
私が配達に行くようになって間もなく、そのご主人も亡くなられ、
「これからは自分へのご褒美の時間だと思うようにしてるの」
Tさんは明るく、そう言っていたことを覚えています。
聞けば、壮絶な老老介護の末の施設入居だった背景もあり、遠方にお住まいの息子さんに頼ることなく、手続きから何もかもをTさんはご自分でこなされていました。
銀行も病院も、ちょっとした食料品の買い出しにも、自分の足で、どこへでも歩いて行かれました。
お話好きで、他にもTさんはいつも私に、色んな話をしてくれました。
自分の出自から、子供の頃の生活や、若い頃の話。
特に、20歳前後で経験した戦争の話は、たくさん聞かせてくれました。
初めは、次の配達先があるため、そう長話する訳にもいかない、と思っていました。
でもいつからか、いつも玄関にしゃがみこんで話を聞いていた私のために、Tさんは玄関先に小さな椅子を用意してくれるようになりました。
次第に、私と話をすることがTさんの週に一度の楽しみの時間になっている、ということを知ってから、私もできる限り前後の配達を調整して、時間が許す限りお話にお付き合いしようと思うようになりました。
今思えば、ありえないことをしていたのかもしれません。
単なる生協の配達員が、玄関に用意された椅子に座って、小一時間組合員さんとお話するのです。
一度、センターの方に、生協のトラックが長時間停まっている、と、近所からのクレームが入ったこともありました。
道の妨げにはなっていなかったはずですが、不信に思われてしまったのでしょう。
それを聞かされた後は、何とか言ってTさんの話を切り上げさせてもらって、長くならないようかなり気を使った時期もありました。
孤独な独居のご老人の楽しみを、何とかしてあげられないものか、考えさせられました。
身体や生活に問題を抱えられた高齢の方は、介護保険の認定を受けて、デイサービスなどの施設を利用して、社会や他人との接点を持つことができます。しかし、自立した生活レベルを送れる程度の高齢者で、しかもお一人暮らしのお年寄りは、意外と多いです。
当時私が配達を担当していた先には独居の高齢者が多く、みな、週に一度の来訪者(何らかの配達員)と会えること(話せること)を楽しみにしている方がたくさんいました。生協以外に、牛乳配達を頼んでいたり、お弁当の宅配を利用されていたり。
何とか自分のことは自分でできるけれど、人のいる場所にそう出かける元気まではない、そういう方は、そうして理由をつけてあえて人に会える工夫をされている方もいました。
そういえば余談ですが、担当していた別の組合員さんで、独居の高齢の方が、自宅で亡くなられていたことがありました。
私が配達に行く数日前のことで、その方はダスキンを利用されていて、モップの回収に来た担当者が発見したそうです。
数日後であれば、それが私だったのかもしれない。
宅配の仕事は、超高齢化社会の現代において、とても重要な役割を担っているのだと知りました。
話をTさんに戻します。
私が配達に来る日は、その時間になるともう玄関の扉を開けっ放しにして待っていてくれたこともありました。
お昼前の配達だったので、お腹が空いたら食べて、と、お茶とおにぎりを用意していてくれたことも。
お手製の梅干しを分けて頂いたことや、その作り方を教わったこともあります。
以降、私が毎年漬けている梅干しは、Tさんのレシピです。
雨がひどい日、ずぶ濡れになった足元を見て、足に貼るカイロを貼ってくれたこともありました。
手入れしている庭の花を、一つ一つ教えてくれました。
生協の配達の仕事がキッカケで、高齢者向けのサービスというものに興味をもった私は、ちょうどその頃、関わりのある人から「介護美容」の存在を聞き、高齢者の方の自宅や施設を回って、簡単なエステをしてあげたり、メイクを施してあげる活動があることを知りました。
すぐに勉強しに行きました。
三ヶ月かけて、エステとメイクの基本を学び、最初に声をかけた高齢者が、Tさんだったと記憶しています。
Tさんは喜んで受けてくれました。
私が新しいことに挑戦している姿をみて「応援したい」と思ってくれていたようです。
「こんなおばあちゃんだけど、きれいになるかしら」
それから、私がお伺いすると、それまで普段お化粧は全くされていなかったTさんが、ファンデーションをつけて、口紅をひいて待っていてくれた日は、涙が出そうに嬉しかった。
「あなたが来ると分かってるから、お化粧をしてみたの」
元々頬の位置が高いTさんは、笑うと頬がふっくらと盛り上がって、ツヤがでるのです。
「いっそう、おきれいですよ」
それは、私の本心でした。
「私には息子がいるけれど、娘がいないから」
Tさんは、私のことを「娘のように」思っていてくれたようでした。
やがて、生協の配達ルート見直しがなされ、Tさんへの配達は別の担当者が行くことになりました。
それからも、時々ご様子をうかがいに個人的に訪問させてもらっていましたが、末っ子を妊娠し、介護美容の活動も休止することになり…。
段々と、ご無沙汰してしまう時間が長くなっていきました。
ずっとTさんのことが気になって、ようやくお宅を訪問したのは、お腹が随分大きくなってからでした。
(電話という手段は一切使いませんでした。巷には色んな詐欺もあって、Tさんも警戒されているのを知っていたから)
「赤ちゃんができたのね」
私が報告するより先に、お腹に気づいて、Tさんはいつぞやの椅子を玄関に出してきてくれました。
そして、久しぶりに色々な話をしました。
「そういえば、ベビーベッドがあるんだけど、良かったら使って」
そう言って、庭に設置してあった大きな倉庫に向かわれました。
そこから、しまってあったベビーベッドを取り出そうとするのです。
その時すでに、御年90歳だったはず。
「Tさん!私しますから!」
「何言ってるの、あなたお腹大きいのに。大丈夫、私がするから」
そんなことを言って、なんとTさんは一人で重たい木製のベビーベッドを全部出してくれました。
ただ、私一人で車に積み込むことも、さすがにそこまでをTさんにお願いする訳にもいかず、後ほど夫を連れて取りに伺います、と伝え、数時間した後に、夫と一緒にTさんのお宅に行きました。
そのときに初めて、Tさんに夫を紹介することになりました。
何かの話の度に、「ご主人を大事にね」って話してくれていたTさん。
「夫は若い時から白髪が多くて。少しは毛染めしたら、若く見えると思うのに」
と話すと、
「いいじゃないの。そのままで」
Tさんが話すと、夫を大事に思うということ、そのままを認めてあげる、ということが大切よ、と教えてくれているような気がしたのを覚えています。
そんなTさんに、夫を紹介できて良かった、そう思って、ありがたくベビーベッドを持ち帰らせて頂き、次男が生まれたときにはしっかりと使わせてもらうことができました。
でも、そのやりとりが、Tさんに会えた最後の日となりました。
次男が産まれ、育児に追われながら、生後4ヶ月の時に父の末期癌が見つかり。
アルツハイマーの進行も認められ、首のすわったばかりの次男をおんぶ紐で背中にくくりつけるようにして、父の介護に奔走することになりました。それからも月日は流れ、父の死、49日を経たあと、すぐに託児所付きの仕事を見つけて、パートに出るようになりました。
次男を預けながら、働く日々。
気づけば次男は2歳を過ぎていました。
あまりに忙しい日々に、正直Tさんのことはすっかり頭から離れていました。
ところが今年に入って、ふと、Tさんを思い出しました。
ベビーベッドまで頂いていたのに、産まれた翌年の年賀状に、報告とお礼状を兼ねて出したっきりで。
なんて失礼なことをしてしまったのかと。
思い出してから、Tさんのご自宅前を、車で通ったことがあります。
夕方近くだったように思います。
リビングに明かりがついていて、ホッとしました。
今から思えば、「生存確認」だけしてしまったんですね。
ホッとしたまま、インターホンも押さずに、帰ってしまいました。
思いつきでふらりと立ち寄ってしまったので、また改めてご挨拶に伺おうと、そう思ってしまったのです。
それからたぶん、一月も経っていなかったんじゃないでしょうか。
もしかしたら、それから一週間から二週間以内のことだったのだと思います。
Tさんが亡くなられたのは…。
先月、以前の同僚で、現在も生協の配達員をしている友人と、お茶をしているときに、突然Tさんの話が出ました。
「そうそう、私、あなたが以前担当していたコースを、今走っているんだけど、Tさん覚えてる?」
彼女が突然Tさんの名前を言うので、ドキッとしました。
「あの方、先月亡くなったそうよ」
一瞬、喫茶店に響くくらいの、驚いた声をあげてしまいました。
それから、あの時どうして「ご無沙汰してます、Tさんお元気でしたか」と、お伺いしなかったんだろう!って悔やまれました。
悔やまれたと同時に、Tさんが私にしてくれた色々な事が走馬灯のように思いだされて、涙が溢れました。
これは、どうにかして、お参りさせてもらいたい。
でも、亡くなられた状況も、ハッキリした日も、お一人住まいだったあの家も、どんな状況なのかさっぱり分からず…。
とにかくご近所の方に聞けば、何か分かるかもしれない。
そう思った私は、翌日、Tさんの住まわれる地区に向かうつもりでいました。
しかし翌日は長男のことで色々と忙しく、私はまたコロッと忘れてしまったのです。
ところがです。
突然、何の前触れもなく、Tさんのことが浮かんで、
「あ!行かなきゃ!」
と思ったのです。
車には長男を乗せていましたが、まぁ、付き合わせるしかない。と、息子の都合も聞かず、思い出してすぐにTさん宅へ向かいました。
また久しぶりに車の外からご自宅を眺めると、全ての部屋の雨戸がキッチリと閉じられ、この間明かりが見えたリビングの窓にも、当然のように雨戸が入っていました。
あぁ、亡くなられたのは、やはり本当なんだな…。
そう思いながら、玄関の方に回ってみると、玄関先に人の影が。
何やら、鍵をかけている様子でした。
もしかしてお身内の方かも!
事情を聞かせてもらいたい!
そう思って車を降り、玄関に向かい声をかけさせてもらいました。
その人は、近くに住むTさんの弟さんでした。
Tさんとの関係を聞かれ、生協の配達員をしていたことや、それが縁で色々とお付き合いさせて頂いたことを手短に話すと、
「あぁ、聞いていますよ」と、ニッコリと笑ってくださいました。
そのとき、頬がふっくらと盛り上がって、頬がツヤツヤしているのを見て、
生前のTさんの姿が突然重なり、思わず涙が溢れてしまいました。
「色々よくして頂いたのに、何のお礼もご挨拶もできず、ご無沙汰してしまって…。もう一度、お会いしたかったです…」
そう言うと、弟さんは、Tさんにソックリな笑顔で、ニコニコと笑いながら
「そう言ってもらえて、きっと、喜んでると思います」
と、言ってくださいました。
私も、以前Tさんから直接、「近くに弟がいるのよ」と聞いていました。
でも、お会いするのはこの日が初めてでした。
弟さんから、いつ亡くなったのか、その時の状況など、教えていただくことができました。
最期まで独居を貫かれましたが、弟さんが毎日のように通い、自宅で倒れているところを発見し、搬送先の病院で2日と経たないうちに亡くなられたとのこと。
苦しまず、眠るように。
そして、二日後には四十九日法要があり、遠方の息子さんも戻ってくるから、良かったらいらっしゃいと、声までかけて頂きました。
そして二日後。私はTさんの遺影を前にすることに。
初めてお会いする息子さんからも、お話を聞くことができました。
私のことは聞かされていました、と。
そして、これは「あなたの名刺ですよね?」と、テープが張り付いたままの名刺を持ってきて見せてくれました。
食器棚の目立つ場所に、私が生協の配達員だった頃の名刺を今も貼ってくれていたのだそうです。
それを剥がして、持ってきてくれました。
裏には、Tさんの手書きで、私の携帯番号が書かれていました。
「きっと、何か分からないことがあったら、あなたに聞こうと思っていたんですかねぇ」
弟さんがそう呟いてくれました。
あぁTさん。ずっと気にかけていてくれたのかな。
娘だと、思っていてくれたのかな。
こんなに、いい加減なことをしてしまって。
申し訳ありませんでした…。
遺影のTさんは、いつもお会いしていた姿の、お元気な姿で、可愛らしい笑顔もそのままでした。
Tさん、本当に出会えて良かったです。
ありがとうございました。
こんな形で残念でならなかったですが、
間違いなく、Tさんの計らいとしか思えないようなタイミングで、たまたま家に来られて帰るところの弟さんに遭遇し、四十九日のその日に、お別れと感謝のご挨拶ができた偶然を、ありがたく思いました。
Tさん、あの時、きっと私にテレパシーを送ってくれたのね。
「今よ!今家に来たら、弟に会えるから!」 って。
身内でもないのに、ましてや仕事先のお客様というような存在であったはずなのに、
何かTさんとの間に築けていた信頼とか、そういうものがあったんだなと。
それを思うと、本当に嬉しくなりました。
Tさんとの思い出、お別れしたこと。
とても長くなりましたが、私の中の大切な出来事として、しっかりと言葉に残させてもらいました。
私の人生を豊かにしてくれた、大切な一人です。
こんなプライベートな話題に付き合ってくださった方、
ここまで読んでくださった方がいらっしゃったなら、ありがとうございます。