昨日はテル坊を抱っこひもに入れて、歩いてコンビニまで散歩しました。
当初コンビニに行くつもりはなかったんですが、看板が目に入った途端、
『あぁ今日は長男が友達をウチに連れてくると言ってたな。
出してあげられるようなおやつが、今ウチになんにもなかったな』
そんなことが浮かんできて、ふらっとそのまま店内へ。
お菓子コーナーの前に立つと、息子が好きそうなもの、娘が好んで食べそうなものが、パッと目に入ります。
迷わずその二つを手に取ってレジへ。
コンビニ滞在時間は3分足らずでしょうか。
そしてまた、ゆっくり家に向かって歩く途中で、またふと思ったのです。
私、自分が欲しいもの、選ばなかったな…と。
で、もし選んでいたら、3分で買物終えれてたかな…。
子どもの好きそうなものは、瞬時に分かるのに。
今、自分が欲しいものは何か。
そもそも欲しいと思ってるかどうか。
それすらも、すぐに答えだせるかな?と…。
前に、夫に聞かれたことがあるのです。
(どうしてそんなことを聞かれたのか、話の前後は忘れてしまったけれど)
「ママは欲しいものはないの?」
その時の私は、何か気分が良くなくて、機嫌も悪かったのかなー。夫が気を遣って、私の希望を聞き出そうとしてきた感じでした。
「そりゃいっぱいあるよ。
トイレのマットとか、キッチンマットももうボロボロで買い替えたいし、リビングのラグも大きいのに変えたいしさ」
そう話しながら思い出すように頭をめぐらせると、私の頭の中の買い物マストリストが浮かび上がってきて、
「娘の制服のスカートもサイズ小さいから、大きいのが要るし。
雪の季節になってきたから、通学用に新しいスノーブーツ買ってやりたいしさ」
自分でそう口にしながら、「あれ?」って思った。
そしたら夫が、
「なんかさ~、そう、家の中の物とか、子どもの物じゃなくてー。
自分の欲しいものは無いの?」
そうそれ!
「あれ?」って思ったのはそのことだった。
まさにそれ、なことを言われて。且つ自分があまりにも可哀想に思えてきて、何だか急に泣きたくなった。
私、自分を大切にしてあげれてないんじゃないか?って。
また自分をどこか遠くに置いやって、目の前や子どものことに、無意識のうちにめい一杯になってしまってるんじゃないかと。
その時のことを思い出して、歩きながら、ぼんやり考えてたのです。
そしたら、
『母性で生きてる』
って。
今、私の中は『母性』が占めていて、母性が要求するものを満たすことが、即ち今の私を満たしてくれるんだって。
これは、永久的にそうなのではなくて、乳飲み子ができたことで、母性が高まるのは自然なことで。子育てが落ち着いてきたら、自然と本来の自分に戻っていくから、と。
そう言えば一昨日。
夫と買い物をしていて。
生後4か月になり、新生児服がさすがに着られない坊やのために、新しい70サイズの、しかも今この寒い季節にもってこいな、あたたかそうな服を2着買ってもらった。
そしたら、何だかそれが嬉しくて。
自分の洋服を買ったみたいにウキウキ♪して、早くテルくんに着せてあげたくてワクワクした。
私、充分に喜んでた。
多分、コンビニで長男と娘のために急遽買ったおやつも、それを見て『おやつ買っておいてくれたん⁈ やった、ありがとー♡』の言葉と笑顔を見たら、私は母親としての達成感と共に喜びを感じるんだろう。
それで、いいんだね。
それもそれで、良かったのね。
母性で生きてる今、その母性を満たすことが、今の私の喜びなのね。
でも、巷に言われる、母になり過ぎるあまり、女を忘れてしまう…、というのにだけは、なりたくないなぁと思う…(T ^ T)
『今』を常に受け止め、心から受け入れていく生き方ができていれば、変化していく『今』と共に、私も柔軟に変化していける。
そうでなければ、子育てが落ち着いて自分の時間ができてみて初めて、私は今まで何をしていたんだろう、って。何かから醒めるみたいに、置いてけぼりを食らうだろう。
とにかく今は、自信を持って母性を満たそう。
そうか。
欲しいものが家の物や、子どもの物しか思いつかないと知った時って、びっくりしてショックで悲しくなったけど。
『自分の欲しい物が無い=自分が無い』
みたいな定義付けをして、それに当てはめた判断をしていたのかもしれない。
自分の欲しいものが、何も自分だけの物とは限らないわ。
やっぱり最終的には、どんな自分も、自分がとことん受け入れてあげる、ってことなんじゃないかな。
あ。
でも食べ物の欲求だけは、自分だけのものだわ。
もうすぐ発売になる、ハーゲンダッツの新作アイス。『きなこ黒みつ』と『ごま胡桃』、は、欲しい。食べたい(*゚∀゚*)
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