長かった42日間が終わりました。


初めて一ヶ月以上も日記を書き続け、

一日と間は空くことはあっても、ほぼ毎日ブログを書き続けることができていたのですが・・・


その日記も36日目でストップさせてしまいました。



この夏休み、

ぶっちゃけ、本当にキツかったです・・・(泣)



かわいい、かわいい、子供たち。

何があっても、どんなことをしてでも護ってあげたいと思って育ててきた二人の子。

そんな子ども達のことを、今まで、こんなにも憎たらしいと思ったことはないほどに、色々とすったもんだがありました。

それだけ、二人は成長したのだと思うし、それだけ、私も自分に嘘がつけなくなって、「母だから」「親だから」である前に、一人の人間であろうとした、正直な結果と感情の現れだと思っております。


頑張ることは無理があるから、何が何でも頑張らないでおこうと思っていたけれど、やっぱり現状を受け止める、っていうことに力を入れ過ぎて、拒否感が募り、夏休み最終週に自爆してしまいました。



私のストレスの溜めように、見るに見かねた夫のドクターストップならぬ、ハズバンドストップ?がかかり、夏休み最後の三日間は、二人を外に出すことになりました。


上の息子は、おばあちゃん(私の母)のところへ。

下の娘は、従兄弟のところ(姉の家)へ。


二泊三日ではありますが、お願いだからどうぞ私から離れてください、と言わんばかりに。

子供たちの何がいけないのか、と言われると、

「結局は私がいけないのよ」

と、自暴自棄になりそうなので、やめておきます。


当の子ども達はというと、予期せぬ「お泊り会」の訪れに、胸を躍らせるようにして荷造りをし、意気揚々とそれぞれの預かり先へ飛んでいきました。

その姿は我が子ながら「さすが」と思うほどに、ポジティブ。


そしてどこか、後ろめたかった私への、ささやかな慰めにもなりました。




ま~、それにしても。小学校中学年~高学年にもさしかかってくると、お互いの主張が激しくて、兄妹喧嘩の派手なこと。そして、そのトーン、テンション、全てがこの妊婦の身体には、煩わしいこの上ないものなのです。


我が子って、母親のメンタルとどうしてもリンクしがちなところがあるので、そういった二人の姿を見せられるのも、私の心の奥深いところにきっと由来しているんだろうな。

っていうところまでは、感じるんだけど。。。



それ以上は、今は考える余裕も受け止める力もなく。

ただ、今感じてることを抱えすぎずに、家族に向けて表現するのに精一杯です。

そうしないと、自分が壊れてしまうことは、過去から学んできましたから。



でもね、私は心の奥底で信じているんです。


甘えてる、ってとられるかもしれないけれど。

どんなに子どもに冷たい母だったとしても、

親らしくない言葉も浴びせーの、

自分勝手なふるまいをしーの、

それでも、私が自分に精一杯誠実であったなら、

きっと私の子どもは分かってくれる。

受け止めてくれる。


今は無理でも、この先のどこかで、きっと理解してくれる。



だってね。


二人に怒りをぶつけていたとき、

思い出していたんですよ。


私の母の姿を。



そう、私がちょうどこの子達くらいの頃だったな。

それもまさに、夏休みだったと思う。



母から、びっくりするくらい怒られたことがあった。

何がキッカケでそうなったのかは、もう覚えていないけど、

私も、私のすぐ上の兄も、意味が分からなくてオロオロしたのを覚えている。

理不尽って言葉の意味を知らない当時の私でも、大人になった今、

あの時感じた想いは「理不尽である」という言葉にふさわしい想い。

(念のため書いておくと、今で言うような虐待を受けたわけではありません)


フラッシュバックするかのように、すっかり忘れていたはずの、あの時の母の姿と自分とが重なりながら、

そして我が子に怒りをぶつけながら、私は心の中で

「母のこと、許せるなぁ」

と、感じていたのです。



なんでそこまでして怒られなければならないのか。

今だに、あの時なぜ母があんな怒り方をしたのか、あの時も今も、そこは分からない。でも、そんな理由とかはどうでも良くて。


私の母だって、完璧じゃなくて。

一人の人間なんだっていうことを、

この年になって、このタイミングでまさかの実感、だったわけです。


人は同じ体験を味わうと(理由はどうあれ、細かい設定はそっちのけで)、それだけで分かり合えてしまうような気がする。


そして同時に、私は自分自身をも改めて受け止めることができる。



だから、それでいいんだ。って。





育児放棄じゃないか。

それってどうなの。

母としてどうなの。


そんな親で、将来子どもにどう影響が出るか分かってるの。



そんな風に不安を募らせる前に。


私が私自身を受け止めることが、先。



その不安どおりになろうとも、

まず私が自分自身をちゃんと受け止めていたら、

その悲しい将来は、自分の責任だと素直に受け止めることができるだろう。



でもその不安は、当たらないと思える。



自分が子である立場から見てきた母の姿を、今母になった私が追体験してみて感じたから。



だから、私は自分の子どものことも、信じられる。




決して子どもに、「分かってほしい」と思っているわけじゃない。


ただ、こんな性格の私が、この子達のそばにいても、

この子の成長を妨げたり、人生の邪魔になったりはしない、って。



必要なときに、必要があれば、

子ども達もきっと、私と同じ想いを体験するはず。



そうやって、何かが繰り返され、受け継がれ、

見えない何かで繋がっている私達は影響し合いっている。

それは不幸の連鎖などではなくて、

ちゃんと、救いの連鎖も行われているのだと思う。





妊婦の頭の中身。


今、こんな感じです。



色んな想念が、ぐぁーーーーーーーっと押し寄せてきています。

おそらくこれらは、出産のときに悪露と一緒にドロ~ッと排出されていくことでしょう。


出産は、最大の自浄作用ともいいますからね。



早くスッキリしたい。