「どうにかしようと、思うな」
最近(というかここ数ヶ月前から)、突如降りてきたメッセージです。
自分への戒めと、落とし込みのために、いつかちゃんとブログに書き記そう、って思っていました。
今年に入って間も無く妊娠が発覚したのですが、早々に悪阻が始まって仕事も辞め、食事排泄以外の動作がほとんどできずに、寝てばかりの状態でいた頃。
実家の父に大病が見つかり、その少し前くらいから認知症と見られる症状も顕著になってきていて、実家の家族はざわめきたっていました。
父の病名は、直腸ガンでした。
5時間近くの手術の末、直腸を八割がた切除されましたが、幸い転移もなく命に別状はありませんでした。
ただ、80を目前に控えた高齢の身体に、今回の入院、絶食、そして手術と、大きな負担であったことは明らかで、術後の父はすっかり生気が消え失せたような姿に変わり果てていました。
認知症も大きく進行し、術後すぐには、母(自分の妻)を妹だと言ったり、兄(息子)を弟と呼んだりと、家族の顔も見分けられない状態にまでなっていました(今はそこからは随分と回復しました)。
見るからに老いていく父の姿に戸惑い、頭で現実を理解し受け止めつつも、心の奥底の抵抗は拭えずに、妊娠によるホルモンバランスの変化も手伝って、かなりの時間を、悶々とした心持ちで過ごしてきたように思います。
目が離せなくなってくる、父の言動。
トイレ事情…。
世間ではよく耳にする介護の苦渋が、私達家族の上にも重くのしかかってきていました。
特に、元々持病を抱える母が担うことになった介護負担は相当なものだったようで、日を空けずに私の携帯電話が鳴り、その度に電話口から漏れる母の言葉は、私の心までストレスで埋め尽くしてしまう力がありました。
お金があれば。
お金さえ沢山あったなら、父を介護の充実した施設に入れてあげられる。
母を父の介護から自由にしてあげられる。
お金が全てを簡単に解決してくれると、何度も思いました。
私も含め、兄弟達は自分の生活のことで精一杯。金銭的にも物理的にも、誰も満足に両親をバックアップすることができない…。
そんな歯痒さを抱えながら、
どうにかこの現状を打破したい。
改善に向かうには、少しでも両親が、そして家族みんなが安心できるようにするためには、どうしたらいいのか?考えあぐねる日が続きました。
身動きが取りにくくなってしまった自分の身体や状態を、時には悔やむような想いに苛まれながら、せめて頭だけでも働かせて何とか方法を見出したい、そして自分もこの鬱々とした精神状態から抜け出したい一心で、
「あの手はどうか」「これはどうか」
と、考えてばかりいました。
その時、また光のようにコトバが降ってきました。
『どうにかしようと思うな』
と。
どうにかしようと考えること自体が、いけないことではないんです。
どうにかしようと考えたとき、必要な答えや方法が閃くこともあれば、目の前に道が拓かれるような出来事が起きることもある。
今、私自身がしっかりと自分を保ち続けるためには、もっと『委ねる』ことだと。
事の流れを静観し、『待つ』こと。
この後に及んで、まだ自分で何とかしようと思っていたの?
自分じゃどうすることもできない事を、なぜ素直にそうと認めないの?
自分の頭だけで、力で、どうにか事を成そうとすれば余計な力を生み、それは自分にとっても周囲にとっても、圧力や重力ともなる。軋轢や亀裂を作り出す結果となる。
いい加減、学びなさい。
そんなお説教を受けたような気がしました…。
私に、物事をどうにかするお役目なり、タイミングなり、その力があったなら、多分その時私はこんなに悩まないし、苦しまない。
その苦悩は、あなたの心にある、何らかの『真実』に抗う力が生み出しているから、起きているんだよ。
もう一度、信じなさい。
人を、信じなさい。
運命を、信じ受け入れてみなさい。
色々なメッセージが、そのたった一言に込められていました。
病気と老いに襲われている、父本人の人生を、まず信じる。
生きてほしいとか、まだ死なないでほしいとか、そういうのを越えて。
父の生を、今生きているその姿を、ただ見守る。
自身の病気と介護負担に苦しむ母の人生を、信じる。
良くしてあげたいとか、楽になってほしい、を超えて。
ただ、どんな事が起きても心を離さずにいよう、そんな想いで、見守る。
兄弟達を信じる。
それぞれにとっての、親への目線と想いがある。それを、信じる。
自分は無力であることを知り、それでも世界は回り、人は私に関係なく生を全うし、生きているのだと知る。
運命というものに対し、最終的に私に唯一できることは、時間がかかってでも、全てを『私の人生の経験』として受け入れていくことだけだ。
私は、何かを自分の力でどうにかしたいのではなく、目の前の出来事に精一杯、誠実に向き合って(自分の人生に起こる自分自身の問題として)、自分の人生を創造したいだけだ。
だから、出来ないことは、できないでいい!
(できないものはできない)
したくないことは、しなくていい。
(誰も、私の人生の責任なんて取れない。ならば誰も、本当の意味で私に何かを強制する力はない。結局は、全ては私の意志で決めているのだから)
他に出来る人がいたら、その人に委ねたらいい。
(人の人生経験を奪わない。余計なものまで自分の人生に取り込まない。自分をわきまえる)
頭の中が、かなりスッキリしました。
そうしたら、タイミング同じくして、母からの電話が鳴り止みました。
私も、以前ほど両親のことがあまり気にならなくなりました。
時間が以前のようにまた、穏やかに流れるのを感じるようになり、いつかまた必ず変化は訪れるだろうと、そしてそれは、そう悪くない方向に違いないと、予感するものさえ感じるようになったのです。
先日、タイミングが合ったので、父を担当してくださっているケアマネージャーさんのところに相談に行きました。
大袈裟ではなく、今置かれている家族の状況や考えを、ありのまま伝えました。
すると、その場で
「昨日、空きが出たばかりで」と、
小さな介護施設の案内をもらえました。
価格が良心的なばかりでなく、私の自宅からも車で10分ほどの田舎にぽつんと立つ、家族経営のアットホームな老人介護施設。
施設向いの畑で、利用者やスタッフみんなで野菜を育て、自給自足の生活。
『できないから、させないのではなく、本人ができるだけの事をさせてあげて、後をさりげなくフォローするのが、本当の介護。
鍵をかけて閉じ込めるのではなく、利用者さん一人一人を信じて見守る、そんな姿勢で介護をしています』
オーナーさんの言葉が静かに胸に響きました。
間も無く、私達家族にとっても、新たな生活が始まろうとしています。