あなたは今、子育てするなかで、
「自分の子育てはこれでいいのだろうか?」
「自分の接し方や言動が、この子の人格形成や人生に、大きな影響を与えてしまっているんじゃないだろうか」
「ゲームばかりしていて、この子はこの先、本当に大丈夫なんだろうか」
というような不安や心配を常に抱えているようだけど。
あなたの息子は、あなたの性格など百も承知で生まれてきています。
あなたがどういう人で、どんな性格か良く知ったうえで。
その上であなたの子として生まれ、人生を歩む決断をしたからこそ、今ここにいるの。
それはどういうことかと言うと。
あなたの元にやってきたという、その時点で。
ただ、それだけでもう、あなたは息子から100%認められ、受け入れられているのだ、ということ。
確かに大きくなるにしたがって、親を責めるような言葉も口にするかもしれない。
あなたを自分で選んだという記憶は、成長と共に薄れていくから。
でも、それさえも、ある意味では予定通りなのです。
彼の人生は、彼が生まれる前に自分で有る程度決めて生まれてきています。そこに、親のあなたがどうこうする力も権利も、本当はないのです。
あなたは、本当のところは、子どもに対する責任など、全く無いのです。
あなた、息子の人生の責任、どうやって取るつもりでした?
代わりに死んで償う。
大昔はそんな責任の果たし方もあったのでしょうけど。
そんなことできる?
人は、自分の人生以外、誰の人生の責任も取ることはできません。
生まれてから死ぬまで。人生はその人のものです。
自分の人生の中に起こる全ては、自分の問題なのです。
自分の人生の問題として、自分で責任を持って取り組み、生きているの。
誰一人、誰も代わってあげることなんてできない。
夫婦であっても。例え、命を産み落とした我が子であっても。
だから、あなたが我が子に対して、
「自分は親としてこれでいいのか? この子の人生に悪影響がないか?」
そんな心配をするなら、
こう考えてみて。
「私は、今日も自分に誠実だったか?」
「自分に正直に、嘘のない一日を、心いっぱいに過ごせたか?」
自分の人生にまず責任を持ちなさい。
ありのままで、自分を表現して生きることに、まず集中してごらんなさい。
親は子供の背中を見て育つ。
って、よく言うでしょう?
精一杯生きている親の姿は、子どもには眩しいもの。
そしてあなたがそんな姿でいる方が、あなたの子どもに対する本当の愛情は、実は子どもに伝わりやすい。
わたしがなぜ、こういうことを言うのかというと。
子どもの人生を自分の中から手放し、丸ごと信じられるようになるために、お話ししているの。
先に話したように、あなたの子として我が子が目の前にいるということは、あなたはすでに100%我が子から認められ、受け入れられているの。
これは、産まれてこられなかった我が子についても同じ。
お腹に命が宿るという経験は、
「ありのままを全て受け入れる」
という、自然界の愛の形そのもの。
あなたが「無条件に愛されている」証と思っていい。
だからこそ、母は無意識の奥で、我が子を「無条件に愛する」ことができるの。
今、苦しいなら、このことを思い出してごらん。
あなたは我が子から、すでに100%受け入れられているの。
だったらあなたがすることは、この子を100%受け入れ、この子の人生を信じてあげることだけ。
我が子ではあっても、一人の命。一人の人間。
あなたは、彼を、どうすることもできない。
仮に、自分のせいで起きた何かが、我が子に影響する事実が起きたときも。
深いところでやはりそれも、その子自身が人生をそういう風に決めてきているから、起きていることなの。
全ては、自然界という人智では計り知れない、どうにもできない皿の上にいます。
ある意味では、その事実を受け入れ、余計な力(執着)は手放して、更に今ある環境と世界の中、「自分の人生」として人と向き合い、子に向き合い、自分に誠実に精一杯生きるだけです。
この考え方は、一部の人にとっては無責任な考え方だと映るようです。
それじゃあ虐待は許されるのか。
子どもには何を言っても、見せても、してもいいのか。
一言、言えるとしたら。
人が本当に自分と出会い、本当の意味で自分を生きることさえできれば。
この世界から悲しい現実はなくなるでしょう。
それでも子どもに対する責任について考えてしまう人。
無責任なことに抵抗感が出る人は、その人にとって別な意味で「責任を果たす」ことが、その人の人生のテーマである場合もあるでしょう。
何が正しいかそうでないかより、自分にとって一番心地の良い場所や言葉を、見つけてください。
※今日は千晴さんからのメッセージを「私」を通さず言葉にしてみました。
そうしたら、いつも以上に私にも響くものがあったので、そのままupしてみました。
