ここ最近、新しい動きがどんどんと、自分の世界に流れ込んでくるような動きがありました。
当然、それに伴って正直なところ、迷いも生まれました。
この流れを受け入れていいものかどうか。
このまま進んでもいいのか?
千晴さんは、その時その時で、腕組みしていたり、時には「行け行けー」と、まるでスポーツ観戦をする観客みたいなポーズをします。
分からない…。
それでは、それだけでは決められない。
というか、どうして分からないのかが、分からないわ。
もっと詳しいことが知りたいのに。
これは、私にとって何なのか?
私に、一体何をもたらそうとしているのか?
幸? 不幸?
喜びか、苦しみか?
ねぇ、千晴さん。
なんでハッキリと教えてくれないの。
度々、千晴さんに問いかけました。
そしたら千晴さん。
「当たり前でしょう!
そんなこと、教えるわけがないじゃない。
要は、あなたが望む答えというのは、“今”を飛び越した“未来”が知りたいだけの、願望でしょう。
そんな力がもし本当に今あなたにあったら、あなたはまず宝くじか競馬でも買いに走って、何も得ることなく、大金だけを得ようとするでしょ」
これには思わず吹いた。
千晴さんの言わんとすることは、ズバリと今の私にとってダイレクトだった。
千晴さんもよく言ってた。
未来は“今、この瞬間”に、同時に存在している、と。
今この瞬間、自分が何を選択するかで未来は千差万別。
だから、“今”を飛び越えて“未来”を知ることは無意味だということね。
私は、試験を受けようともしないで、問題だけ見て、回答を教えてくれとせがんでいるようなものなのかも。
それから、こうも言ってた。
「何も、教えていない訳では、ないでしょう?
ちゃんと、パズルのピースを、一つ一つ、ヒントのようにあげているじゃない。
そのピースを大事に広い集めたら、何かの絵が浮かびあがるはず」
その絵が、“答え”なのかどうかは分からないけれど。
確かに、ここ最近の流れを落ち着いて見てみると…。
一つの流れは無意味なようで、私は自分が何故それを選ぼうとするのか分からなかったんだけど、一つ一つの流れから繋がった先に、「これは!」というのを見つけた瞬間、千晴さんの言う、「何かの絵」が、浮かび上がったのです。
一つ一つは無関係なのに。
流れに乗って辿り着いた先に、一本の道が、出来上がっていました。
これに気づいた時には、にわかに興奮しました。
そういえば随分前に見つけた、禅にも傾倒していたというスティーブ•ジョブズ氏の有名なスピーチの中で、
「人生は、点と点の繋がり。
一見、何の繋がりもないようなことが、あるとき未来になって繋がり、一本の線になる」
と、言っているのを読んだことがあります。
つまり、このことを言うのだなと。
確かに、未来が分かってしまえば、人生は面白くない。
失敗は少ないかもしれないけれど、精神的な豊かさは半減する気がします。
それからこんな言葉を、身近な人の口を通していただきました。
「“人生”の反対は、“失敗”ではなく、“何もしない”こと」
経験することが人生の目的ならば、失敗も経験。でも、何もしないことは、何の経験を得ることもない。それでは、人生と呼べないのではないか。
そういうことが言いたいのだと思います。
「何もしていないわけじゃない。
生きている。
息をしているじゃないか」
という反論は、ここでは横に置いておかせてください(笑)。
言葉の定義の話をしているわけではないのでね。
※↓ここからは千晴さんが語ります(^_^)
具体的な動きが何も起きなくても、決して卑屈にはならないこと。
期待していた結果にならなかったとしても、決して諦めないこと。
これは、その後も続くであろう自分の人生を、楽しみながら歩いていくための、コツです。
そして、人生とは総じて「楽しいものである」と、自らが決めてしまうことです。
楽しみを待ち、受け入れる。
あなたが常に用意することは、ただそれだけです。
千晴