誰かから愛されたかったら、
まず、自分を愛しなさい。
って、大人になったばかりの頃、大切な人から教わりました。
でもね、分かったようでいて、
自分を愛するってこと、懐に落ちていなかったなと
当時を思い出してみて、思う。
自分を愛するって、
自分を大切にすること。
自分の気持ちを優先すること。
つまりは、自分の心の声をちゃんと聴いてあげること。
こうして言葉で並べてみたら、全くもってその通りなんだけど。
それだけじゃ、なんていうか説明不足なんだな。
「愛する」って言葉を使うと、きれいに聞こえるし、
優しくて、大切で、護る、ってイメージ。
でも、子どもを育てていると気づく。
子育てしていると、常に優しい気持ちで接したくても、無理、って。
でも子どもを愛していない訳じゃない。
なぜそういうことする?
なんで、親の言うように動いてくれない?
そんなもどかしさと向き合いながら、子どもの個性に気づき、子どもに芽生えた意志を受け入れていくうちに、気づくんだ。
あぁ、これも愛なんだ、って。
自分の中には無い想い。
自分とは異なる意志。
自分以外の存在を認め、それを自分に許すことで、相手を受け入れていくことができる。
本当に愛する、って、
受容なのだと気づいた。
受容は、赦しともいう。
赦せるからこそ、受け入れられる。
子育ての話はあくまで例だけど。
対人においてこれは全てに言えることで。
もう一つ例えを出すとしたら。
『自分がされて嫌なことは、人にもしない』
私はこう教わってきたし、自分の子ども達にも『共感意識』を持ってもらうためにそう教えています。
これが根底にあると、相手から不快なしうちを受けたときに、自分だったらしないことを相手がしたことが許せなくなります。
それは言いかえるなら、
相手が許せないというより、自分に課せた
『自分がされて嫌なことは、人にもしない』というルールを破るという事実を、自分が許せない。
もし、自分がそのルールを持っていなかったら。
そのルールを守れない自分を許せていたら。
『私も、時々人の嫌がること、ついやっちゃうしね』
相手の嫌な仕打ちさえ、許してしまえる余裕になったりする。
それは事と次第によっては、かなり難しかったりします。
自分の愚かさも認め、素直に自由に自分を表現する人が増えれば増えるほど、
今、世の中の人達は、そうやって生きていくことを、心の底から望んでいる。
そのためにも、まずは。
やっぱりちゃんと感じよう。
快/不快を味わおう。
喜怒哀楽を、伝えよう。
その全部を実はめいいっぱい感じてる自分を(だってそのために生まれてきたんだもん。ほんとは皆、めっちゃ感じて生きてる) ちゃんと意識して、摑んで。
で。全部の感情を、良い悪いで判断したりせずに、最終的には赦すの。
みんな、ちゃんと自分を愛そう。(o˘◡˘o)
はぁーーー( ´ ▽ ` )ノ
スッとした!
ここ一ヶ月近く、度々あった千晴さんからの同んなじ内容のメッセージを、ようやくまとめられた!(^-^)