熊野三山とは、
那智山青岸渡寺(なちさんせいがんとじ)
この三つを言うそうです。
後で調べてみたら、一般的には
本宮大社
↓
速玉大社
↓
那智大社
の、順にお参りするのが常だそうです。
そうとは知らず(汗。何せ初心者なもので
)
最初に速玉大社を参拝し、そのあと、那智大社に向かいました。
速玉大社でも、那智大社でも、メッセージがあり、
特に最後の本宮では、たくさん感じることができました。
メッセージはとても個人的な内容でもあったので、全てをここで公表することはできないのですが(^^;;。
那智大社に隣接されている、那智山青岸渡寺の境内に、赤子を抱いた御姿の大きな観音様の像があるのですが、ここで手を合わせていたときに感じた内容が、ここでは一番強かったメッセージなので記しておきます。

赤子を抱き、優しくお参りする人々を見おろす御姿をしていらっしゃるお像の前に歩み寄るとき、すでにもうこちらに向けて微笑んでくださっているような感じを受けました。
ここからは感じた内容に、私なりの翻訳と解釈を交えながら書いていきます。
※ ※ ※
ようこそ。
よう、お越しになりました。
ここで手を合わされる人は、深い悲しみを抱えていたり、懺悔の念を持たれた方が非常に多いのです。
だから、お話しますね。
懺悔ではないのです。
供養では、ないのですよ。
人は存在しているだけで、誰かに影響を与えています。
あなたのその存在が、意味のあるものなのです。
赤子の魂もまた等しく平等に、
「存在そのものが影響を与える」という
同じその使命を背負って、母親の胎内に宿ります。
それらは全て、魂の向上のためです。
人は、この世に生まれ、己の生を生きることで、
社会に、周りの人々に個人差はあれど必ず何かしらの影響を与え合って生きているのです。
そして、誰かの魂の向上を手助けすることができれば、即ちそれもまた、己の魂の向上につながります。
この世に生まれることのできなかった魂は、それができないのか?というと。
実はそうではありません。
生誕にたどり着けなかった魂。
母にその存在を知らせるためだけに、やってきた魂。
もし、子の魂を思うなら、
いつまでも悔い、嘆き、成仏だ供養だと形にばかり捉われるのではなく、
どうか、自分自身の魂の成長へと繋げてください。
あなたが精神的に、そして霊的に向上したとき、
そしてそれが、世に出ずることのできなかった魂の存在のおかげであったと悟るとき、水子の魂もまた、今回のわずかな転生で、確かな魂の向上を得ることができるのです。
あなたの気づきを促した、『親の魂の成長の手助けをした』という、尊い魂の経験を得ることができるのです。
ですからどうか、早く気づいてあげましょう。
そして、約束してあげてください。
悲しみや後悔、懺悔に手を合わせるのではなく、
生きる喜びに感謝の念で、手を合わせることを。
命の存在、その意味を知り、
生きることがどれほど素晴らしいことかを再確認され、
水子の命の分も、既に肉体を受けているあなたが精一杯
喜びの限り命を生ききる、ということを。
一度はそのお腹に宿した命。
それを失うということは、
どんな形であれ、深い闇を伴ってしまうことが多いです。
人生の奥深くに、堅く扉を閉ざし封印してしまう方も、多いです。
その扉を開き、心の闇が払われたとき、
私の元で赤子がまた一人、喜びに包まれ神の元へ次の転生に向け還ってゆきます。
あなたの心が自由に解き放たれることは即ち、
あなたに気づきを促すためにやってきた魂を、自由にすることでもあるのですよ。
※ ※ ※
あたたかい、それは暖かい言葉でした。
でも、時間でいうと、手を合わせていた時間。1~2分のことでしょうか。
一瞬のようにも感じられました。
あたたかさに胸が熱くなりました。
このようなメッセージは、まだまだ続きます。
次の記事で、最後に参拝した、本宮大社でのメッセージを記します。
