『いつの日か会ってお礼が言いたい』
そう思って5年経ちました。
お会いするのは、『大切な時間』に登場する、向日葵さんです。本を読んで下さった方は、向日葵さんが私にとってどういう人なのかは、わかって貰えると思いますが、少し説明します。
ちょうど5年前の今頃、以前からおかしかった症状が又現れ出し、今の大学病院に転院し病名を付けて貰ったのですが、それまでの私に付いた病名疑いは、『脊髄内腫瘍』『脊髄空洞症』でした。
初めの整形外科で疑いが付き大きい病院を紹介して貰え、そこでは脊髄空洞症ではなく外科に行くようにと言われ受診を受けると、『脊髄内腫瘍』だと診断され、病名が付きました。その時の状態は進行している様子なので、数日中に緊急手術をする方がいいとの事となったのですが、症例が少なく出来る医師が・・・と言う不安な声を聞き、だんじりさんと勤めていた医師に相談し、更に大きい病院を紹介して貰い、今の病院に転院しました。
今の大学病院では、脊髄内腫瘍とは確定ではなく、最初から検査をし直すという事で、すぐに入院になったのですが、その頃の私は、前の病院で説明された怖い手術内容ばかりが頭に浮かび、恐怖感でいっぱいでした。手術をしたらどうなるのか、手術できるのか、助かるのか・・・って、色んな事を考え悩んでいました。日々歩けなくなり、握力はどんどん下がり、車椅子でないと歩けず、トイレも看護師さんの補助がないと出来ない自分に、不安で不安で、誰に相談していいのか・・・、でも誰かに聞いて貰いたくて、ネットで同じ病名の人を探し見つけたのが、向日葵さんのブログでした。
「この人に相談してみよう。」そう思ったのは、大学病院で見せて貰ったMRI画像が、向日葵さんのブログに載っていた画像と、場所も大きさも本当に似ていたから・・・。
彼女に思い切って苦しい胸の内をメッセージで送りました。彼女の丁寧に返事をくれたメッセージの中に、
『私は信頼できる医師に出会い、手術して回復に向かっています。諦めない気持ちと、医師と医療を信頼する気持ちが大切です。迷われているようでしたら、セカンドオピニオンを検討されることをお勧めします。』
と返事が戻って来ました。その文章の最後に、彼女の病院名と医師名が載っていました。今思い出しても、鳥肌が立ちますが、見た瞬間、『え?』って自分のベットについている医師の名前を確認したら、同じ名前だったんです。この時の安堵感で流した涙は、それまで流した涙と違うものでした。
このメッセージが届くまで、手術をして貰っても助からないかも知れないという恐怖と、助かっても動けない身体になるんじゃないかと言う不安。色んな苦しい思いの中での明るい光だったように思います。彼女と何度かやり取りしていた中での、
『きっと、助けてくれますよ』
と言う言葉は、その後の私の心を間違いなく救ってくれたのだと思います。
結局、私は沢山の検査の結果、多発性硬化症と診断されたわけですが、その経緯があるので、難病と言われても受け止める事が出来ました。なので・・・、彼女に会ってお礼を言う事が、うまく言えませんが、何だか申し訳ない様な・・・そんな気持ちも少しうまれたのだと思います。
彼女とはブログを通して繋がっていて、『大切な時間』を出版する前にも、向日葵さんの事を書かせて事を連絡させていただきました。いつか・・・お会いできると信じて。想いを文章にと思いましたが、文字にするのはとても難しいです。いつか直接お会いして・・・、そう思いながら繋がっていました。彼女はブログを年数回しか更新しない為、次こそは・・・と思いながら、逃せばまた1年経ってしまいます。彼女の大学病院受診は5月と8月。どちらも私の苦手な季節です。5月に受診をされたあとブログ更新で、次は8月に検査に行くと、今年もアップされました。
「なんか・・・会えそうな気がする」そう思って、ブログを読んですぐに彼女のコメントに連絡しました。私は大学病院まで行かせてもらうと連絡しましたが、『ありすさんのお隣の市に今住んでいますので、そちらまで出て行きますよ』とお返事といただいたので、ご厚意に甘える事になり、ランチをする事になりました。
私が知っている数少ない情報の彼女は、お箸が使いにくいはず。ランチのお店はかなり考えました。お箸が使いにくいって事は、フォークでパスタを食べるのはもっと難しい? 暑いのは私は苦手だから涼しい施設内の方がいい? 色々考えた結果、よく出かける阪急さんのお店にしました。予約が取れないので、当日少し早めに出掛けるつもりです。
今からワクワクもですが、感極まって泣いちゃわないかな^_^; それが一番心配。家族にも言えなかった苦しい胸の内を、唯一聞いて励まして貰った向日葵さん。リハビリが上手くいかず、退院3ヶ月経っても自力で歩く事が出来ない苦しい時には、
『私も何度ももうこれ以上良くならないのでは?という壁にぶち当たりました。でもまだ、ありすさんは治療を開始して3カ月足らずではありませんか?私は今年の8月の外来で主治医から「まだ3年」と言われました。ありすさん、諦めるのはまだ早いですよ。気長に行きましょう』
こんな風にいつも前向きに励ましてくれた彼女に、支えられてきました。
自分が杖で歩けるようになるとは、退院した時は思えなかったから・・・。弱音を吐いていたあの頃の私と違って、前向きで頑張れている今だから、連絡出来たんだと思えます。
彼女も今まで再発なく順調の様子で、今年で8年になるようです。
家族には昨日報告したのですが、3人とも『ハンカチ持って行った方がいいよ~』だって^_^; 周りの状況考えず、どこでも泣いちゃうからな~^_^; ムッチャ心配(笑)
沢山の想いを持って、来週お会いして来ます。
