外出着から新婚のホームウエアまで、高級洋装店でオーダーしていた友人のご親戚の家へお供したことがあります。主が外交官というご自宅の応接間は、ロココ調の優雅な家具で整えられていました。椅子の背面には黒地にプチポアン刺繍が施され、初めて目にした私は座ることをためらう程の優雅なしつらえでした。帰り道に友人から「紅茶を飲み干したら、カップの底にバラの花が見えたでしょう。あれは気に入ったお客様にだけお出しするティーカップなの」と言われて、嬉しいというより驚嘆してしまいました。お客様次第でティーカップを使い分けるという発想がショックでしたし、そんなに幾組もティーセットを備えている家を知らなかったのです。

 

 

学校と寮が六本木からほど近く、当時は俳優座やテレビ局もあったので、芸能人を見かけることも珍しくありませんでした。別世界のような刺激的な東京での学生生活でしたが、卒業後東京で暮らしたいとは思いませんでした。

というのも銀座4丁目の交差点で信号待ちしていた時、大河のような人の群れの中に誰一人知っている人がいない淋しさに、心が凍るような想いをしたことがありました。自然の中での独りぼっちとは比べようのない心細さでした。

 

 

寮の同級生の中には、地方に戻りたくないと泣いて嘆く人もいました。けれど私には東京でなくては学べないことや、仕事という目的がありませんでした。裕福な外見や暮らし振りの素晴らしさも目にしましたし、有利に働く場面にも遭遇しました。なのでなおさら普通の暮らしが身の丈だと思えたのです。


ただ入学してすぐの頃上京してきた父が、初めて口紅を塗った私を見て、帰宅した際に興奮気味に母に伝えたというエピソードを懐かしく思い出しました。

 

 

 



 

 

アクティブ・カラーセラピスト養成講座

個人セッションのお問い合わせはコチラ★