タイムラグのあり過ぎる先月のことですが、「東北大震災の慰霊の地に花束を捧げましょう」という仙台在住の学生時代の友人の呼びかけで 同窓会を兼ねて行ってきました。


降り立った仙台空港は以前と変わらず、なんの変哲も感じられませんでしたが、早い時期に復興されたとのことで 1階ロビーの柱のほぼ天井近くまで津波が押し寄せた印が残されていました。




福岡発アクティブ・カラーセラピー ″彩″自記


遊覧船で島巡りを楽しんだ松島は なんと島の数が260余りもあり、津波が押し寄せた時はその島々が防波堤になって 船着き場のある湾内は助かったとのことでしたが、島の間を津波がすり抜けた地域は 殆ど壊滅状態となったそうです。


福岡発アクティブ・カラーセラピー ″彩″自記



乗船客の撒くカッパエビセンに 沢山の海猫が寄ってきます。


福岡発アクティブ・カラーセラピー ″彩″自記



その海猫達も震災の1週間位前から すっかり姿を消してしまったので 住民達は不思議がっていたそうです。


震災が収まって海猫が戻ってきても、当分遊覧船が出なかったので 餌を貰えない海猫たちはやせ細ってしまっていたと 痛ましそうにガイドさんが話して下さいました。



慰霊の白い観音像の立つゆりあげ浜の向こうに 穏やかな美しい海が広がっていました。


福岡発アクティブ・カラーセラピー ″彩″自記


顔を左右に振らなければ とても視界に入りきれない長い水平線。

この広大さが津波となって押し寄せる恐ろしさは ここに立ってみなければ 想像することすら出来ませんでした。


ゆりあげ浜から仙台駅へマイクロバスで数十分走った所に 木造の小さな“波分神社”が ひっそりと立っていました。

運転手さんが皆様をどうしてもここへお連れしたかったとのことで、降車はしませんでしたが、伊達正宗の治世の時に津波があり、ここから先は決して住まないようにとの想いを込めて建造したものだそうです。



車内で今回の発起人である友人が 震災復興ソングとして書かれた“花は咲く”のコピーを配ってくれて 皆で歌いました。

この歌詞は亡くなった方から 今生きている人へ、そしてこれから生まれてくるであろう人々への想いを綴ったものだと聴かされました。


NHKテレビで繰り返し流れていたそれは いろんな人がメドレーで歌っていたので 映像に気を取られて歌詞が繋がらなかったのですが、意識を変えてみると 涙が止まりませんでした。



 花は 花は 花は咲く

 いつか生まれる君に


 花は 花は 花は咲く

 いつか恋する君の為に


是非 You Tubeで 全曲通してお聴きになってみて下さい。



運転手さんからのメッセージです。


  「東北の品物を買って下さい」

  「支援している人を 支援して下さい」

  「皆さんがこの震災の語り部になって下さい」



東北には美味しいもの、美しいものも一杯でした。

どうぞお出かけ下さいますように!