霊岩チャラボン古墳 - Wikipedia | precideizeのブログ

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概要

南部、中流左岸に広がる平野の中央部に位置する。古墳名のチャラ(??)はの意で、古墳の外形に由来して命名された。これまでに韓国精神文化研究院(現?韓国学中央研究院)により部分的な発掘調査が、に大韓文化遺産研究センターにより全体的な発掘調査がなされている。

墳丘は前方後円形をなし、前方部を南南西に向ける。前方部は長さ?幅とも小規模であるが、これは後世の耕作で変形を受けたためと見られ、後円部?前方部の土層の比較によれば両者は同時期の築造になる。墳丘周囲には最大幅6メートル?最大深さ1.8メートルの周溝が巡らされているが、段築?などの外部施設は認められていない。また、墳丘を取り囲む状土製品が約50点見つかったほか、周濠からは木製品も多数出土しており、これらの用途は日本の古墳とも共通する。この土製品の使用は同じく前方後円形墳のや(いずれも)でも知られ、木製品の使用も月桂洞1号墳で知られる。特に土製品に関しては、月桂洞1号墳?2号墳出土品や明花洞古墳出土品と同様に日本の埴輪には見られない特徴を細部に有していることから、在地工人がその製作に関わったと見られている。

埋葬施設としては後円部中央に石室があり、墳丘主軸と直行する栁鞣较颏碎L方形をなしている。この石室は従来とされていたが、2011年調査の段階では見直しが必要とされる。石室の系譜は系と見られ、規模は長さ3.26メートル?幅2.36メートル前後?高さ1.85メートル。石室内で見つかった鎹や釘から、内部でが使用されたと見られる。この石室は調査時点ですでに盗掘を受けていたが、調査により鉄鏃?鉄矛?鉄刀?鍛造鉄斧?鉄鎌?鉄刀子?鉄製鎹?金製耳環?ガラス玉?黒色土器?陶偻疗?馬骨などが発見された。これらは系の文物とされる。

古墳の築造年代は、出土土器からの初頭から前半にかけてと推定される。また被葬者は、石室の大きさ並びに副葬品に武器の存在から、男性1人とされる。霊岩郡地域では、からに沃野里古墳群?新燕里古墳群、5世紀から6世紀に万樹里古墳群?内洞里古墳群?七山古墳群が営まれたが、チャラボン古墳はこれらから距離を置き、従来古墳の築かれなかった地域に突如出現することが指摘される。