※重い話です

 

子宮頸がんⅢaと診断されたのは確か2年前の12月の婦人科での検査でした。

通っていた婦人科は家から徒歩で10分もかからないところ。

結婚してから地元を離れ、初めてかかる病院で通いやすく口コミでも漢方を扱っているし悪くはなさそうという基準で決めたところ。

 

そのとき先生に言われたのが、

「がんで引っかかってはいるけど本当に初期中の初期」

「全然大したことない」

「妊娠にも影響ないし、もし妊娠しても全然大丈夫!」

とりあえず経過観察、3ヶ月ごとの再検査

あまり詳しくは聞いてなく、大したことないなんて言われていたので

「今回たまたま婦人科で診てもらってよかった~」とまるで他人事(笑)

もちろんそのような診断されたことは初めてですので先生の仰る通りに特に大きく気にすることはなく、婦人科に通い続けていました。

 

その約3ヶ月後初めての妊娠。自身の職業訓練学校や、自身の結婚式など慌ただしい日々。妊娠すると自然にそのまま出産できて、育児するものだと思っていました。

私は33歳で旦那さんに出会い(マッチングアプリ婚です)

その一年後に結婚をしました。私の学生からの友達はそんなに多くはないですが、皆20代で結婚して、すでに子どももいて、マイホームも建てたりして、「出遅れた」とこじらせたこともありました。

子どもをすごく望んでたというより、

「皆結婚したら子どもいるし、自分もそのうち」なんて思った矢先だったからびっくり。

もちろん嬉しかったです。まだ初期なのにすぐに周りに報告なんかして、浮かれて完全に妊娠ハイになっていましたね。妊娠したらごく自然に出産するものだと当たり前に思っていました。

 

ですが結婚式翌週の検診で赤ちゃんの心音が聞こえない。

そのまま週末まで様子を見て、次の検診では完全に赤ちゃんは小さくなっていました。

稽留流産。まだ産科へ移る前の、母子手帳も貰わないほどあっという間で。

あまりにも短い私の初めてのわずか10週の妊娠は終わりました。

12週未満の流産というのは流産の中で最も多い割合。手術自体は30分ほどと短く、日帰りで帰れるというものでした。全身麻酔から覚めた時はまるで妊娠していた長い夢を見ていた気持ちになり、お腹にもう赤ちゃんが居ないということが辛かったです。

体調はすぐに回復しましたが心がずっと辛くて。毎日泣いてました。自分をずっと責めていました。旦那さんもどう接していいのか分からない様子で、お互いに壁があるようでした。耐えられなくなり私から「別れてほしい」と言ったこともありました。一緒に居てはダメだと思い、実家に帰ったこともありました。

1番辛かったのは周りに早すぎる報告をしたばかりにそれを回収することでした。

その後今とは違う職場ですが、仕事でマタニティマークをつけているお客さんが居て、聞けば出産予定は私が続いていたら同じ時期でした。辛くてトイレに逃げたこともありました。

忘れることはありませんが、やはり時間が経つとだんだん受け止められるようになり、このまま子どもが居なくても夫婦2人の生活でも楽しいかもしれないと思い始めました。行けなかった新婚旅行へも行ったりして、ずっと2人で過ごせたらそれだけで幸せと。

手術から1年。その後も子宮頸がんの検査で婦人科に通っていました。先生からは「そろそろ妊娠してもいいよ?」「さ!妊娠へ向かって頑張ろうか!」などと顔を合わせる度に言われるようになり、いくら先生でもこればっかりは授かりものだし、言われたくないな〜このままここに通うのは辛いな〜と思い、別の婦人科を探し始めた矢先、今回の妊娠が分かりました。

心音も確認ができ、去年貰えなかった母子手帳をもらい、総合病院の中の産科へ転院。

初めての妊婦健診では赤ちゃんも元気ということですごく安心しました、ですが先生が

「子宮頸がんの精密検査してないですよね?」

( 'ω')エッ…

「してないんですか?」と訳が分からず逆に聞いてしまいました。

精密検査は中の組織を採取するので、検査自体痛みを伴うので、受けたら必ず覚えているはずと。

なるほど…受けてないですね(他人事)

まずはそれを急いでやりましょうとその日の内に精密検査。確かに凄く痛かったです(笑)

 

じゃあ私が1年通ってた婦人科での検査は…一体…