何か気の抜ける日が続いていた。塾に残る。午前様まで勉強する。
そこに彼女は居なかった。もう僕の大恋愛は終わったのだ。

最初に勉強を始めた動機がそれだったので、もう居残って勉強する
意味は、僕にはなかった。何か、しっくりいかない日が続いた。

4月、高校二年生になった。そろそろ周りにも勉強をし始める輩が
現れ始めた。先生達もその動きに呼応するように、今までとは少し
違う気合いを授業の中に入れ始めているのを感じた。

「分からない事はGに聞こう。」勉強を始めた生徒達は、何故か僕を人間的に
尊敬し始めていた。僕の高校は中高一貫の進学校だったので、頭の中に
ある程度「勉強の出来る奴=人間的に出来る奴」という式ができあがっていた。

周りに教えるのは何も思わなかったのだが、彼らの態度は嫌だった。
何か、ずるかった。表面だけ取り繕うような態度、心から笑っていない笑顔。
彼らは多分自分の事で一杯だったのだろう。でもそう言うときだからこそ、
そういう見え見えな人間には俺の事を感じて欲しかった。

中学時代叱られ続けた先生達にも、叱られる事は無くなっていた。
人間は勝手な物で、怒られている時は嫌なのだけれども、いざ怒られなくなると
それはそれで空しくなるのだ。

一学期の真ん中で、先生に神様扱いされ始めた。先生の間違っているところを指摘
した事がきっかけだったと思う。

「分からない事はGに聞こう。」先生から相談を受け始めたのは2学期に入ってすぐ
の事だった。強がるわけでも何でもなく、その頃先生の英語力をとうに超えていた。
授業中、授業後、それが分かる度に、先生に相談される度に自分が分からなくなっていった。

授業中は静かにしていた。寝るか、漫画を読むかして、なるべく先生の授業の邪魔にならない
様にした事もある。その度に先生は聞いてきた、「G、これは正確にはどんな意味なんだ?」
その彼の笑顔に、とても嫌気がさしたのを憶えている。

自問自答は何回もした。「何だこの環境は、お前は他人に尊敬され、崇められる存在なのか?」
自分のこの高校二年生にしては出来すぎる英語力を呪ったりもした。周りに嫌な奴が増える度、
英語がどんどん嫌いになっていった。自分が嫌いになっていくのが分かった。

こうして高校二年生時、僕は学年の人気者みたいな感じになった。表面上は僕も笑顔を振りまき、
精一杯役割を演じた。それはそれで楽しかったが、心にぽっかり穴が開いているのを、
もう意識しないで確認する事が可能となっていた。それだけ無気力感もあったのだ。

そういう状況下で、僕はまたもラッキーだった。その心を穴を埋めてくれる存在があったからだ。
大学受験の為の英語勉強から、使える英語へのシフトが始まった。10月後半には今まで8対2の
割合だった勉強量を、一気に逆転させた。井の中の蛙が大海を知ったからだ。

リスニングやライティング。勉強量は膨大だった。まず始めたのはリスニング。それまで洋楽には
殆ど興味を持っていなかったが、マライアキャリーのCDを買い、そのCDに付いている英語の歌詞を
音楽を聴きながら理解するようにした。

知らない表現ばかりだった。もう英語に関して知らない事など無いなどとうつつを抜かしていた僕にとって
それは有り難い事だった。無我夢中で辞書をめくる日々。歌詞を覚える際に口ずさむ中で意識して練習した
発音の基礎もここで培った物だ。

慣れないうちは英語の歌詞を見て日本語に直し、日本語で理解した後に英語歌詞を見ながら音楽を聴いた。慣れてくると歌詞が無くても口ずさめるようになり、そこで英語を英語で理解するというプロセスの入り口に立つという感覚を養った。

音楽で英語耳を鍛える事に慣れてくると、映画にも手を出した。ミッションインポッシブルやノッティングヒル
の恋人等がその当時大好きな映画だったので、その字幕無しビデオと台本を買い、台本を日本語に訳し、
台本を読みながら映画を見、何回も見終わった頃には台本無しで全ての台詞を言える様にした。

そんな勉強法の中で今でも覚えているのが、受験英語の最中に出てきた熟語等が、実際歌詞の中や
台詞の中に出てきた時だ。すごい自信になったし、何か説明の出来ない興奮した感情を抱いたのを
記憶している。そんな小さな事が勇気を与え、僕を英語の虜にしていった。

月日はあっという間に過ぎ行き、2月、受験シーズンになった。僕はいつもの様に授業後、塾に残り勉強
していたが、そこにはもう彼女の姿は無かった。受験生は試験中家で勉強し、翌日試験会場に向かうという
スタイルを取っていたのだ。

僕は彼女を本当に心の底から応援した。何より一番近くでその努力を見てきて、当然だが彼女だけには
希望の大学に行って欲しいという思いがあった。それは恋愛感情ではなかった様に思う。一勉強仲間
として、心から彼女の成功を願った。

3月、彼女は大妻女子大に入学する事が決まった。第一志望ではなかったのだが、それでも彼女の行き先
が決定した事に僕は安堵した。その入学決定の知らせは本人から直接ではなく、塾長から伝え聞いた。
彼女はもう塾には来なかったのだ。用が、無いのだ。でも僕には用があった。一番大事な用だ。

彼女の電話番号は以前に聞いていたので、僕は思いきって電話を掛けた。呼び出し音が僕の胸を
とても熱くした。心臓が飛び出そうになるのを必至で堪えた。

「もしもし」と、慣れ親しんだ彼女の声がした。「あ、どうも。Gです。Nちゃん・・・・・・、受験受かったっ
て聞いたから・・・・・。あの・・・・・、おめでとう。」ああ、馬鹿。もっと上手い言い方無いのかよ。
そんな事を想いながら彼女の返答を待った。

「有難う、お陰様で。Gも授業後ずっと勉強してたからねー。色々な意味で感謝だね。」僕の脳はフル回転
して、その言葉の中から僕に対する恋愛感情を探った。しかし、どの仮定も僕の決意を揺るがせた。

「今は何やってるの?」と、僕。「バイトを始めるの。居酒屋なんだ。」と、彼女。受験結果以外の話題は、
長く続かなかった。きっかけはない。ここで決めるしかない。またチキンになるか、ちょっとの勇気を出すか。

「実はさ、受験が終わってから伝えようと思ってたんだけど・・。」ここでも言葉に詰まった。汗が噴き出る。
「???何???」と、不思議そうな声で彼女。本当に知らないんだろうか、僕の気持ちを。

「あ~、ずっと・・・・・、好きだったんだよね。最初にあった時から。」遂に出た。迷いに迷ったあげく、
遂に今まで言えなかった言葉を口にする事が出来た。しかしその満足感もつかの間、彼女の言葉を
一日千秋の想いで待つ。

「・・・・・・・。」彼女も言葉に詰まっていた。時間にして三十秒も無かったであろうその時は、僕には
一日よりも長く感じた。

「何となくは気付いてたんだ。」彼女は切り出した。「うん、それでGの気持ち聞けて嬉しい。」自分の
顔に笑顔が戻るのが分かる。嬉しいという彼女の言葉に、僕の期待は膨らんだ。

「でも今は受験終わったばかりで考えられないんだ。色々したい。バイトとか、キャンパスライフとか、
自分の時間色々。」僕の顔は瞬く間に元に戻る。・・・・・・・しばしの沈黙。僕ははっと我に返る。

「あっ・・・・・・、そうだよね。うん、わかるわかる。俺もNちゃんの立場だったらそうだし。それに俺、
特にNちゃんに何かアピールとかしたわけじゃないしね。うん、わかるわかる。分かるから、ほんと。」

何を期待していたのだろう。最初から分かっていたではないか。僕は浪人生だった彼女にとって、
勉強仲間でしかなかったのだ。当然だ。何か男らしい事をしたわけでもない。それなのに僕は、
彼女に僕の気持ちが伝わっている様に願っていたのだ。そんな事が起こりうるはずもなかった。

「G、ごめんね。・・・・・G頑張ってね。応援してるから。Gだったらいいとこ絶対行けるって。
エースだからね、期待してるよ。」
この言葉と共に、僕の初恋は幕を閉じた。
そして激動の高校一年生時代も。


その時から僕は目標を見失い始めていた。
その後の僕に何か大きな事が起こる等、その時は知るよしもなかった。
10月になると特進クラスでは難関校のテストが頻繁に行われるようになっていた。
僕はそのクラス毎に行われたテストでトップの成績を取れるようになってきていた。

11月の初めには、テスト毎に発表される張り紙で一番上から落ちることはもう無かった。
憶えているのは、センター試験の過去問では190点を切ったことは無かったし、早慶の
過去問で80点を下回る事を努力不足と認識していた。

元来頭の出来は良くないと思っていたし、このような結果は明らかに自分の実力以上の
物であると、今でも思っている。が、周りの目は明らかに「怪物G」に変わっていて、
それを、多大なプレッシャーはあったのだけれども、心地よく感じていた。それ以前から
スターダムに駆け上がっていくイメージはあったのだけれども、この結果と共に
自他共に認める、塾のエースとなったのだ。

案の定、僕の意中の彼女にもその噂は届いていた。「ねえG、ここの所が分からないんだけど。」
ある日、居残り勉強をしている時に彼女が僕に質問をしてきた。初めての事だった。

顔を真っ赤にしながらも、その質問に対して自分の知っている事は全て答えたのを憶えている。
その後の彼女の「有り難う」という言葉に、僕の胸は躍った。

確か11月の終わり頃だったと思うが、その年は獅子座流星群が来るとのニュースがあり、
僕達は休憩時間にその話題をし、今日は何十年に一回のチャンスを見ようと言う事になった。

午前1時の休憩の後から、僕たちは勉強を中止し外に出て流れ星を探した。外はとても
寒かった。僕は学ランを彼女に着せた。最初はいいよいいよ、と断られたが僕はなぜか
着てもらうのが適切だと思ったので、俺は寒くないからと強引に着てもらった。

今までそういう恋愛ごっこというか、くさい事をする経験が無かったので、とても緊張した。
学ランを無理矢理着させられた彼女は、困った表情を作りながらも「あったかいよ、有り難う」
と、僕を気遣ってくれた。僕は照れくさそうに笑うしかなかった。彼女も微笑んでいた。
その笑顔に、僕の心は張り裂けそうになった。

「好きです。付き合って下さい。」そのセリフはのどの一番奥でつっかえていた。今すぐに伝えたい。
しかし伝える事であの笑顔を失うような事があったら・・・・。僕は彼女の一番近くにいたい。彼女は
今浪人生で受験が控えている。言い訳と本音が混じった感情を、僕は優先させた。度胸が、無かった。

こうして僕の彼女への恋愛感情は、進展がないまま月日が流れるのだが、英語への興味は尽きる事
がとどまる事を知らなかった。完璧では無いにしろ、受験の為の英語勉強において知らない事は
徐々に無くなっていった。

塾でトップに登り詰めようとしていた時期に、僕はアメリカ映画やニュースを字幕無しに理解する事が
英語の理解力を飛躍させるキーとなる事に気づき始めていた。その頃からリスニングに注力する様に
なっていった。

ある程度まで受験英語力、つまり文法力と単語力+文章読解力、がいくまでは英語を日本語を介して
理解、吸収する事は必要不可欠である。しかしそれ以上になると、日本語を介して英語力を伸ばすには
頭打ちなのである。英語を英語で理解する事。これは総合的に英語力をつけていく為には避けては
通れない道なのだ。

10月辺りから、大学受験の範囲を超えた気の遠くなるような勉強が始まった。
自分は異常に勉強し始めた。理由は気になる彼女と、成績が伸びるうれしさだった。
モチベーションは確実にその二つにあった。高校生の勉強し始めの自分には充分な理由であった。

塾が5時、もしくは7時に始まり午後の11時まで授業。4,5,月時は主に文法の基本的な事をやっていた。
高校生なのに中学生の範囲をやっていたので、吸収力は半端ではなかったように思う。

元々あまり使っていなかったスポンジ。僕は自分の脳みそをそう思っていた。授業中に殆ど一語一句
理解していたのは多分後にも先にもこの頃だけだろうと思う。授業の一秒一秒が宝物だった。

授業が終わった後は生徒が帰った各教室を使って良く、そこで、意中の彼女とは別々の部屋だったのだが、
午前3,4時まで勉強していた。とても貴重な時間だった。

覚えている限り、内容は初期段階では授業の復習だった。しかし勿論高校最初の勉強をし始めたばかり。
初期段階の授業内容、量は2週間持たなかったのを覚えている。

普通ならば、よっぽどの勉強好きでない限り、そこで授業後の復習など止めてしまうところだが、
自分には止められない理由があった。彼女の近くにいたかったからだ。僕は彼女が居る限り
塾に残って勉強する必要があった。好きな人と一緒の場所にいて、一緒の時間を過ごす。
高校生の一方通行的恋愛に、それは確実に必要だった。

ただ一緒に居たいと言っても、そこは人間だ。何もしなければ飽きてしまう。高校一年生にただ座って
何もしないという耐え難い事はできなかった。

ふと復習を終えた後、次の授業で扱われるであろうページを開いてみた。また暇つぶしを見つけた。
一日トータルで9時間集中して勉強していた自分に、復習することなど何も残っていなかったので、
時間の使い方に困っていた僕には格好の材料だった。これでまた彼女と一緒の時間を共有できる。
それだけで勉強に対するモチベーションは充分だった。

またがんがん勉強。だらだら勉強できたのかも知れない。彼女のことを考えてさえいれば良かった
のかも知れない。自分はそれをしなかった。彼女が一生懸命勉強していることを知っていたからだ。
自分にとって一緒の時間を共有する事は彼女と同じ気持ちで何かをすると言うことだった。
一方通行の気持ちでも良かった(当時はそんなことは思いもしなかったのだが、苦笑)。
ただ一緒に頑張って、一緒の疲労感というか、思いを共有したかっただけなのかも知れない。
高校生の恋愛は自分勝手だ。自己満足で、充分だった。

彼女は決まって1時間ごとに休憩を取っていた。12時、1時、2時、3時。その三回の休憩に決まって
お茶を入れていた。塾に二人、特にこれといった会話はなかったけれど、お互いの健闘をたたえ合い、
努力を確認し合う。その時間だけが、自分の心をほぐしてくれた。

高校一年時で浪人生と一緒の気合いで勉強していた為、英語力はぐんぐん伸びた。そんな生活を
始めてから2,3ヶ月、六月の終わりには既に高校一年生の英語の範囲を終えていた。

夏休みは更に長い時間塾にいた。彼女は浪人生のため、普段より朝から塾にいたのだが、自分も
夏休みにはそれが可能になったので、昼間からは塾にいた。

また特に会話もなく、二人はお互い別々の教室で、延々と勉強していた。彼女に話しかける勇気
が無かった自分に出来る事は、やはり目立つ事。しかし夏休みの中頃には既に彼女とは同じクラスでは
無くなってしまっていた。僕は1番上のクラスへとあがっていたのだ。

僕個人的には嬉しかった。評価されてこなかった人生だから尚更だった。しかしもう彼女と同じ席は
並べられない。自分にとってその状況下で考えついた目立つ方法は、塾の有名人になることだった。

少しずつ噂は広まっていた様に思う。「高校一年生が一番上の特進クラスにいる。」その噂をもっと
広める必要があった。トップだ。特進クラスでトップになりたい。勝算はあった。特進クラスのメンバーと
雄一違った事が集中力だった。この彼女への想いから来る集中力と勉強量を合わせれば、きっと
10月には一番になれる。そしてその瞬間は来た。


留学を意識し始めたのは高校一年の終わり頃だったと思う。
その頃の事は鮮明には覚えていない。

僕が英語を勉強し始めたのは高校一年の初めの頃だった。
母親に勧められ嫌々塾に行った事が理由だ。

その塾は異常だった。浮間にある小さな個人塾なのだが、
塾長がまず異様だった。

「嫌ならやめろ。生きる気の無い奴は死んでしまえ。」
これがモットーである。正直びびった。入塾前にまず言われた事が
「お前、勉強しないタイプだろ。」

当然むっとした。初対面の奴に何が分かる。俺はある程度勉強してる。
中学での成績もそこそこだったし、いきなりそんなけなされる覚えはない。

ただその怒りにも似た感情は授業を受けた時点で消え失せ、焦りへと変
わった。「ああ、俺やばいわ汗。このままだといけない。」

最初の授業はインパクトがあった。まず入れられたのが小学生&中学生一年生の
一番下のクラスだった。「はいG、英語の構成。」塾長が聞く。「???。」しばらくの
沈黙の後、塾長が他の生徒に聞く。「主語、述語、目的語。」皆威勢良く答える。

「ではG、それぞれの役割は。」再び長い沈黙。また他の生徒達が「主語は主格、
述語は主語の行動、目的語は主語の行動の説明」、と威勢良く答える。

何も答えられなかった。高校生が知っていて当たり前だろう内容だ、と言う事は容易に
想像がついた。それすら答えられないという状態でも既に焦るのに、答えている人間が
俺より3つも4つも下の小学生&中学一年生だ、という事実に愕然とした。
高校一年生が小学校六年生に圧倒される。この事実だけで入塾を決意した。

入塾して三日目かそこらに、一人の綺麗な女性が通り過ぎるのを偶然見かけた。
一目惚れだった。暫くして彼女が浪人生である事、僕の3つ上のクラスにいる事を知った。

授業にも慣れだした二週間目にはクラスが一つ上になった。あと二つ。早くまだ名前も知らない
彼女と一緒のクラスになりたい。いかがわしい理由だが、俺は授業に集中しだした。

一ヶ月後にはついに彼女と一緒のクラスになった。だが緊張して話しかける事が出来ない。
アピールの仕方は一つしかなかった。それはクラスで目立つ事、つまり勉強だった。

その頃の授業への集中力は凄まじい物があった笑。ただ彼女に俺の存在を知って貰いたいが
為に一生懸命集中した。ある時授業後に彼女から話しかけられた。「Gすごいね、頑張ってるね。」

その後、彼女が浪人生ゆえに授業後も教室に残り、午前3-4時まで勉強している事を知った。
塾長に「俺も残って勉強して良いですか」と聞くと「やる気のある奴はどんどんやれ、この塾に
門限は無い。」との答え。

塾とはいついつ迄に閉まると思っていた俺には意外だった。「この塾は自由だ。やる気さえあれば
何でもして良いんだ。」そこから俺の異常な勉強が始まった。