7/1     9時半 お父さん脳神経外科入院

入院センターで二人で入院説明を聞き、
脳神経外科のある階へ

エレベーターを降りると
床に白い線が引いてある

どうやら、私はここまでしか入れないらしい

すぐに、看護師さんが来て
看護師さんに荷物を渡すと

お父さんを連れて行った

あっという間だった
別れの言葉をかける時間もなく

じゃ、娘さんはここまでで、と。
コロナ禍って、辛いな。

父はあっという間に姿が見えなくなり

私は、エレベーター横の長椅子に

背中を丸めて座り泣きました  

父の前で見せないようにしていた

悲しみの感情や不安な気持ちが

どんどん溢れて込み上げる


こうなると

周りの事など、気にしていられない。


研修生や他のご家族の方が

私の前を通り過ぎているのがわかる。



みんな、そっとしておいてくれる。

ここは、そんな場所なのかもしれない。



マスクをしながら泣くので、
マスクがぐしょぐしょになった


私は県外在住で
地元の情報をよく知らないので
脳神経外科の先生にソーシャルワーカーさんをつけてもらっていた


担当のソーシャルワーカーさんが来ると
長椅子で、また涙が込み上げる
よく泣いた。
ソーシャルワーカーさんとは、また後日
退院後のことを相談することにした。


病院を出て実家にもどり
生モノやゴミをゴミ袋に入れ
近所のおばさんに、ゴミ出しをお願いした。


近所のおばさんは、快く引き受けてくれて、お父さんが日頃から良い付き合いをしてくれていたことに感謝した。

隣のおじさんには

お父さんが入院したので、しばらく家に誰もいなくなることを伝えると、郵便物を保管して、急ぎのものは、連絡してくれることになった。

「困ったことがあったら、なんでもいいなさいね」と。近所の方には感謝しかない。

お母さんの仏壇を拝み

全ての戸締りをし
お父さんの車をバッテリーが上がることを想定して、車の向きを変え

全て終わった
15時 鳥取県の実家を後にした

山口県まで、片道6時間
ひとりきりの車の中で

遠慮なくぞんぶんに感情吐き出した。

山口県の家に帰ると

近くに住む長女とパパが
待ってくれていて
私の背中をさすってくれた


家族って、ありがたい


泣きすぎて、もうあまり涙の量はでない。

泣きすぎて頭がいたいので
少し横になったら、2時間寝ていた。


話は前後してしまうけど


この時に

もうひとつ私が困ったとというか

辛かったことがある


本当の状況を知らない
お父さんのマージャン仲間や
外国にいるお父さんの弟や
亡くなった母の妹のおばさんや
近所のおばさん
隣のおじさん
心配してくれている友人や
会社関係の上司

に詳細を説明するということでした。

私自身がまだ、感情に呑み込まれ
上手く整理できていない状態

泣かずに説明できる気がせず
だけど、わかるように説明するためには、毅然とした電話をかけなくては伝わらないし

ひとりひとりに電話するたびに
今までの一連の出来事を思い出して

その時の辛い気持ちに引き戻された。


私しか、説明できる人がいないということも

理解していたし

みんな心配だから

お父さんどう?って

聞くのもよくわかるから



毎回、辛い場面に引きもどされても

お父さんの状態を説明した。


電話を切るたび

LINEを打つたび

伝えるのってエネルギーがいって辛いなぁと

何度も思っていました。



私が伝えないと、、、。




コロナの影響で

誰もお父さんに会いにいけないし






言葉の出にくいお父さんは
この日から携帯電話をかけるのも
難しくなりました。

お父さんから、電話がかかってきたのは、

山口県に帰る途中の車でした。


携帯電話のかけ方がわからなくなって
看護師さんに聞いて電話したと伝えてくれました


電話は、疲れると言っています

話すのが難しいみたい



もう、唯一のお父さんとのつながりを感じる電話もできないかもしれないな



込み上げるものをおさえたら

胸のあたりが、息ができないような

ぎゅーっと苦しくなりました。


深い息を何回か意識的にして

ハンドルをにぎりました。



こうやって、私は山口県の家族のもとへ

ボロボロになりながら

帰りました。