首相の中東訪問と脅迫との因果関係~日本人がマララさんからもう一度学ぶべきこと | MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

MATTのブログ ~ 政治・経済・国際ニュース評論、古代史、言語史など ~

元新聞記者。 アメリカと日本を中心にニュース分析などを執筆します。







中東訪問









安倍首相の中東訪問は、ISILによる公開脅迫のきっかけになったとは言えるかもしれない。志方俊之氏の記事
で言う通り、日本政府は昨年後半、ISILと水面下の交渉をして人質解放に向け努力したが成功に至らず(ISILもその時点で何も得ていない)、ISILは自らの示威と日本人を縮み上がらせる目的で、安倍首相の中東訪問のタイミングを見計らって公開脅迫を行ったと考えられる。







 安倍首相の中東訪問と人道援助の表明は、人質の解放とは関係なく行ったのであり、中東諸国にとっても日本にとっても非常に重要な平和的な活動だった。それらの国々と敵対し、あるいは交戦しているのがISILであるから、ISILが日本に不快感を抱くことはある意味当然であろう。





しかし、「だから安倍首相は中東を訪問せず、ISILを刺激すべきではなかった」との主張には、私はまったく与できない。むしろ、残虐な人質誘拐脅迫やイスラム市民の殺傷を繰り返すISILに日本が憎まれるということは、それだけ日本の政策が正しいからだといえないだろうか。





「首相が中東訪問すべきでなかった」と主張する人は、首相の中東訪問と演説さえなければ、人質が帰ってきたとでも言うのであろうか。それはまったくあり得ないことだ。ISILは(日本が2億ドルを支払わない限り)人質を解放する気などなく、拘束した人質を最大限利用して、自らの示威と日本人を震え上がらせる効果的な機会を狙っていたのであり、首相の中東訪問はある意味利用されただけだからである。







ISILを刺激すべきでなかった」「ISILにも理はある」「アメリカの一味と思われたのが間違いだった」との一部の人々の主張には、戦後の日本人(の一部)に特有の「自分さえ安全ならいい」「危ないことには関わらないほうが身のため」「人を助けに行って巻き添えになるのはご免だ」という考え方が、色濃く反映していると思われる。







 たしかに一般的に人間の自己防衛行為にはそのような行動パターンがあり得るが、こと不法なテロリストに対する態度として、そのような行動が現代の国際社会で果たして認められるであろうか。しかも日本は、国連への支出金額第2位を誇る大国である。







昨年、ノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララ・ユフスザイさん(17歳)は、自身もイスラム教徒であるが、学校を破壊し、罪もない人々を殺傷するイスラム過激集団をブログで批判し続け(刺激して)、そのために自らの命を狙われ瀕死の重傷を負ったが、決して批判をやめなかった。       





 その結果、マララさんはテロリストであるタリバン運動から激しく憎まれる対象となった。原因は、彼女が正しいことを勇気を持って発言したからである。






 日本人はマララさんの勇気と正義心に惜しみない賛辞を贈ったばかりではなかったか。その日本人が、自分たちの話になると急に、「日本人はまだ過激派集団に嫌われていないのだから、刺激しないでそっとしておいたほうがいい」とは、どういうことか。「日本人以外であれば、何人殺されていようと、見て見ぬふりをしたほうがいい」ということなのか。ノーベル平和賞が彼女に贈られた意義がまったく理解されていないのだろうか。




マララ



このような戦後日本人(の一部)特有の「自分さえよければ」反応を見るにつけ、ちょっと飛躍していると受けとめられるかもしれないが、学校での「いじめ」に対する反応も共通性があるのではないかと感じる。





「だれかがいじめられ、人権を侵害されていようと、どれだけ悲しい思いをしていようと、自分さえ危害を加えられなければそれでいい」「こういうときは大勢に順応し、いじめ側とも友好関係を保ち、目立たないのがいちばん」「自分が出る杭になっては損だ」と。





私の意見では、そのような「自分さえよければ」タイプの子ども(と教師)が多いから、いじめはエスカレートし、陰湿化し、いつまでもなくならないのではないのだろうか。







またそのような考えの大人が多いから、子どもたちはその反応を真似しようとするのではないのか。さらに困るのは、そういう子ども(大人)に限って、「いじめられる方に問題がある」と、いじめる側ではなく、いじめられる側の非をなじることが多い。




 ああ、これとまったく同じ論理を最近、どこかで聞いたことがある。「日本がISILに脅迫を受けるのは、総理大臣が相手を刺激するようなことをしたからだ。そんなことをしなければ、我々は平和に暮らせたのに」。







つまり、「自分さえよければ」論は、国内では「いじめ」や「暴力」を助長し、世界では「テロリストの暴力」や「不法な侵略行為」を助長することにつながっている。言っている本人たちにその自覚がないだけだ。










アメリカの学校に行くとよく分かるが、学校でいじめを目撃したら黙っていないで注意する子どもが結構な頻度で存在しているものだ(100%とは言い切れないが)。翻って日本の学校では、もしも正義を主張していじめを注意する子どもが出てくれば、だれもこの子を助けず、いじめ側についた子どもの大勢に寄ってたかって攻撃され、つぶされてしまうのではないか。





認めたくないことだが、嘆かわしいことだが、これこそが現代日本の支配的文化なのではないだろうか。







 なぜ、いつから、日本はこのように臆病で身勝手な国になってしまったのだろう。