at lastトップスケーターの宿命ともいえる〝疲労〟さぞや悔しかったことでしょう…🇯🇵の重さとともに2人して次の試合へ! 出場順番が早くて地上波ではLiveで見られなかったので解説とアナウンサーさんが代わったのは知らなかった。□ □ □ □ □ 2005年ワールド、本田くんが怪我のためリンクから担架で運ばれ、大輔もプレッシャーと不調とで五輪枠は1人に。トリノ出場をかけた全日本で大輔は初優勝、本田くんは5位、そして引退へと。当時のことは枚挙にいとまない。。後に大輔のコーチとして現れた本田くんを見た時の嬉しさは忘れられない。本田 → 高橋 → 宇野 と繋がって今日に至る。 長野五輪時代の two top こちらも驚いた