肉食文化と日本の食文化はこうも違う | 果樹園の草むしりおじさんpart2

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四つ足を殺して食する猟師は日本社会では卑しい者とされてきました。

一方戦国時代の武士は腰から鹿肉の干したものをぶら下げ戦時に食べたと記述されてもいます。

いくつもの国境に接し、常に戦うことを余儀なくされた西欧の環境はさらに厳しいものだったに違いないと想像できます。

西洋文明はクレタ島を発端とし、ギリシャからロ-マへと伝搬されユダヤ人のイエスの説く一神教と融合した独特のキリスト教文明を築きました。

ロ-マからフランク王国へ、フランク王国からゲルマンへ、ゲルマンからケルト人へ、ケルト人から新大陸のプロテスタントへとさ迷い、ついには西海岸から太平洋を渡って日本に影響を及ぼしました。

スペイン、ポルトガル、オランダなどからキリスト教文明を伝搬しようとした西欧の試みはことごとく失敗し、明治政府はキリスト教文明のいいとこ取りに成功したかに見えました。

ロ-マの法、大英帝国の産業革命を見事にキャッチアップしたのです。

しかし文明の流れは未開のアジア大陸を巡り衝突する運命にありました。

それが大東亜戦争です。

引き金は1930の世界恐慌でした。

後進資本主義のドイツ、イタリア、日本は、経済ブロック化を押し進めることで乗り越えようとしたのですが、その中心に民族主義と政治的全体主義を選択したために、イギリス、フランス、米国と戦うことになりました。

連合国の掲げた正当性はキリスト教的な正義でありました。

言葉を変えて言えば、異なる文明が守ってきた善悪観の衝突と言えるのではないでしょうか。

故に第二次世界大戦は異なる価値観が衝突した文明の戦いであったと定義することができるのです。

東京裁判やニュールンベルグ裁判から歴史を判断しては物事の本質を見ることができません。

力の強い者が正義だと言っているのと同じだからです。

私はここで指摘したいのはこのことなんです。

①人間と万物の関係、②人間の統治の仕方。

これらにキリスト教的な力の論理があったことを私は否定できません。

そしてその論理とは、実はイエスの教えとは全く関係ない狩猟民族の論理から来るのではないのか?

私はそう疑っているのです。

中でもゲルマンは狩猟民族でしたから、神聖ロ-マ帝国は血なまぐさい派遣主義であり、その残虐さはアドルフ・ヒトラ-に代表されるのではないですか?

農耕民族は常に気候に左右されてきました。雨が降らなければ作物は枯れ果てます。

気候をコントロールできないから自然を神として崇め、供え物をして神のご機嫌を伺うのです。

飢饉の度に沢山の餓死者を出してきたのが農耕民族でした。

人間は時としては獣にもなれるのだという教訓を農耕民族の歴史が教えてくれます。

飢饉の時には知り合いを殺してでも人肉を食べたからです。

はじめから獣として生きてきたのが狩猟民族ではないですか?

この生活を支える論理は力だけです。力しかありません。

力による支配をナザレのイエスは説きませんでしたよ!

ですから西洋のキリスト教文明とイエスの言葉には越えがたい乖離があるのです。

キリスト教文明の歴史の中でもゲルマンに覇権が伝搬されると彼らの食文化が西欧に影響しました。

ゲルマンは獲物の血の一滴も無駄にしません。

ブラッドウルストがその象徴です。



ブラッドウルストとは豚の血で作るソ-セ-ジで、日本には入ってこれません。

検疫で初めから拒否しているのです。

しかしヨ-ロッパに行けば誰でも食べることができます。

彼らは四つ足の皮から肉、血の一滴までも支配する食文化を作り上げました。

私はブラッドウルストを食べましたが、実に美味しかったです。同時に日本人の感性が追い付けない食の世界だなぁとつくづく感じたものです。

世界的に見てどちらがメジャーでどちらがマイナーかと言えば日本の肉食文化は極めてマイナーです。

多分、日本人には敢えて四つ足を殺して食べることや、戦のために緊張し続けるような精神史を歩まずにやってこれたのだと思います。