前項の冒頭で悪の業を列挙しましたが、読者の皆様がその項目で想像したのは新聞の三面記事に登場する容疑者のことではないですか?
それも勿論悪の業ですが、私が書くにあたって意図したことは国家という他国が干渉できない城壁の中で行われている主権者による悪の業についてなのです。
またそれがそのままの形で他国に侵出する悪の業についてなのです。つまり、その権力が国境を越えて行う悪の業のことなのです。
とくに東アジアに住む私たちは核を持つ悪の国々に囲まれているのに、その現実にあまりにも無関心で無策で、生活を維持できますか?という問題には目をつぶって正視しないことに私は異常さを感じているのです。
誰も質問しないことですから私が問題提起しているのです。
エノラ・ゲイが広島上空を飛んでいた時、広島市民は普段と変わりない一日を始めていました。
子供たちは学校へ、戦地に行かない夫は職場へ、妻たちは家事に勤しむいつもの日でした。
一瞬の出来事だったのです。市民の誰もが想像しなかった一瞬でした。
そんな悲劇を私たちは繰り返してはなりません。
私は西欧諸国を普段評価することはないのですが、百年戦争や30年戦争の末にウエストファリア条約を結んで理性的な国境問題や宗教問題を解決した努力には敬意をはらっています。
それは危機に対する想像力の所産であると言えるのです。
一方で西欧諸国に起きたナショナリズムの、あの歯止めの効かない暴走が第一次世界大戦となり多大の犠牲者を出したことを歴史の教訓としなければなりません。
レーガン・ゴルバチョフ・中曽根時代にソ連が崩壊し、冷戦時代が終わり、世界が新しい時代に入ったとする解釈はアジアに於ては錯覚でした。
ロシアに関して言えば共産主義という大義名分を失っても南下政策に一辺の変化もなく、クリミア併合がなされたのを私たちは目撃したのです。
シリアのアサド政権へのロシアの介入の意図を見れば、ロシアは極東、北極海や極東海軍の覇権と力の行使による南下政策に何ら変わりのない拡張主義を示しているのに、我々は鈍感です。
クリミアなんて知らないよ!が日本の一般的な解釈でしょう。太郎冠者さんの口惜しき意見のように極東の島民でいいのでしょうか?
(拙ブログ「私にとっての在日」に付いたコメントをご参照下さい)
ロシアは共産主義を捨てたが、ニコライ王朝に先祖帰りした歴史の反動の道を選択したのです。
核保有敵対国家の狭間の中で生存を考えたことがありますか?
私たちはロシアとの平和条約の前提に北方領土の返還を主張していますが、法的解釈以上の戦略的意味があるのです。
それは法の秩序を世界的に敷かねばならない日本の命題の故です。復古的民族の悲願などではありません。それは受け身の思考に過ぎません。
何故こうも戦略的思考が出来ない程に日本人は劣化したのでしょうか?
私たちは国力に見合う立場と思考を身につけなければなりません。
日本は悪と戦う善の国家でありたいと願うのは私だけとは思えません。