告知を受けてその日はそのまま帰宅した。
入院治療を勧められても今日の今日で
動揺は激しいし状況を把握しきれていない。
一刻も早く手術というならならまだしも、
仕事の事もあるから即入院とはいかない。
数日後にもう一度落ち着いた状態で先生と
話せるように受診をお願いした。
息子は罹患した臓器を摘出、人工的な装具を
着けての生活になると思っていた。
そうなることが嫌だとも言っていた。
ところがまさかの手術もできない状態。
放射線も適応外、抗がん剤もレジュメがない。
とりあえず効果がありそうなものを使う。
肺とリンパ節への転移とお腹にも恐らく
散らばっているということ。
治るということはなく、いかに少しでも
長く共存できるかということ。
抗がん剤治療のサイクルからいくと
仕事を続けるのは難しくなるだろうと
いうことを改めて聞いた。
息子はもし抗がん剤治療をしなかったら
どうなるのかと尋ねた。
「2〜3ヶ月で様々な症状が出始めるだろう」
と言われた。
抗がん剤治療をしないという選択肢を考えて
いたようだった。
夫は何度も「抗がん剤で原発が小さくなれば
手術ができますよね?」と尋ねていた。
私は治療についてセカオピを受ける事を
考えていた。
先生はレジュメに関して他の病院を紹介できる
と言ってくれた。
更に同じような抗がん剤治療になるのであれば
家から近い病院の方が良いと思うと言った。
この言葉は見放されたように聞こえたが、
今思えばなるほどと思う。
専門病院は基本的に治す事を
メインとする病院だということだ。
でもその時点ではそんな事は
全く思いつかなかったし
今でも他にやりようがなかったのかとも思う。
最後に出会った他の病院の外来の先生は
息子に全く同じ事を全然違う言い方で
心を尽くして伝えてくれた。
夫は何しろ抗がん剤治療する事で手術が
できれば治ると考えていた。
私も本当は夫と同じように考えたかったが、
何もしないよりは治療をと思っていた。
沈黙したまま治療をしないことを
考えているような息子に先生が
「もし自分の子供だったら抗がん剤治療を
受けさせる」と言った。
息子は私達の希望と先生の意見から
抗がん剤治療をすることを決心した。
ただ数日後に迎える誕生日を自宅で
過ごしてからの入院にしたいと伝えた。
その後で妊孕性のことも出てきて
先生から個人病院を紹介された。
そこでの診察なども考えて治療の為の
初めての入院は10月の後半になった。
診察のあとは息子だけで看護相談だった。
息子曰く話の流れからそうなったので
看護師さんが悪いわけではないんだよと
前置きがあったあとで
「どこで最期を迎えたいか」
「できるうちにやりたいことをやった方が
いい」と言われて悲しかったと話した。
なんて残酷なんだろう。
なんて惨いんだろう。
間違ってはいないのだろうけど…。
どれくらいと言わないだけで
余命宣告を受けたと同じ。
これが現実?
普通にあることなの?
ジェットコースターが加速度をつけて
更に激しい角度で急降下した。