相思相愛
 相手を必要とし、相手からから必要とされること
 それが相思相愛の《理想形》

先週行ったYUKIのライブ、終盤、この曲を歌う時に、YUKIは言ってました。

もう1曲。これはライブでは聴けなかったけど、好きな曲。

just life! all right!
自分より大切に想う 幸せをスープに煮込んだ
熱いよ あついよ

私はもう美味しいスープを煮込んだ気でおったけど、
多分私のスープは自分より大切に想ってもらう甘さばかりのスープだったような気がした。


思いやる。
感謝する。
気遣う。

全部、相手のためのはずだったけど、いつのまにやら、目的と損得が絡みあい、
そして、いっちばん初めの目的、動機がわけわかんなくなり、
目先の損が生じると、いらだったり、焦ったり、不平不満をつぶやいたりしてしまう。

そんなに色んなことを考えなくてもいいんじゃないかと思う。
どう言えば傷つかないか、どう返せば相手は悲しくないか、、、
もちろん、そう考えるのは大切だとは思う。
でも、考えたところで、相手の思考回路が自分と同じなわけじゃないし、
相手が私の期待通りの反応を示してくれるかどうかなんて、わかりゃしない。
そうして、考えに考え抜いた一言に対して、思った通りの反応でなかった場合、憤る。
それは、ちょっとお門違いよね。

けども、先述のどう言えば、どうすれば、を無視して、
自分の言いたいことを言いたいように言い、したいことをしたいようにしていれば、
きっと、破綻もしてしまうだろう。

何事もバランス。

はい、そんなこと言ってしまったら、今、私はどーするのがよいのだろうか。

それはわからないが、とりあえずわかるのは、自分を可愛がりすぎ。
私が得しなければいけない理由、そんなないじゃん。
もっと損してもいいじゃん。
そもそも、それを損だと認識している打算的な物の見方がとても嫌だよ。

なぜ私だけ、いつも私ばっかり、、、

そんな気持ち、持っててもいいことなんかひとつもない。
しかも、そればその通りなことはない。

実際は、見えないところで、見えてるところで、私の気付かないところで、
私だけ、、、ってゆー思いを微塵も抱かず支えてくれたり、動いてくれたりする人のおかげで、
毎日の仕事がうまく回ったり、毎日のささやかな幸せな時間が生まれていたりする。

そろそろ、もっと広く視野をもたなければ。
私の、私による、私のための世界に凝り固まっているのはよした方がよいのではないか?
目を覚ませ私。よく見ろ私。

そんな自問自答を繰り広げていると、心細くなります。
めぐリズムであっためながら、気持ち良い眠りを迎えられますよーに。

おやすみなさい三日月