「動物・自然保護」啓発団体プ ラ ー ナ
代表 岡居 です。
日頃プラーナをご支援頂いている皆様には厚く御礼を申し上げます。
そして、このブログで初めてご縁を賜った皆様にも感謝申し上げます。
このブログを始めるにあたり、まず、プラーナを御支援下さっている皆様にご挨拶とご報告をしておかなければなりません。
本編を始める前に、今回、この場を借りてご挨拶とさせて頂きたいと思います。
わたくし岡居はここ数年体調を崩しておりました。
沢山の方々に有り難いお見舞いのお言葉を頂戴致しました。
本当にありがとうございます。
その件に関して今まで沈黙して参ったため、沢山の方に大変ご心配をお掛けしてしまったことをお詫び申し上げます。
実は、私は数年前にうつ病を発症しました。
あまりにも自分を酷使しすぎてしまったため、心と身体のバランスを崩してしまったのです。
正確に言えばうつ病と仮面うつ病の中間とのことですが、精神的なこともさることながら、身体にいろんな症状が出てしまったのです。
ひどい不整脈や喘息、低血糖症などなど、いわゆる自律神経失調症の重症な状態です。
プラーナを立ち上げてからあまりにも忙しすぎたのです。
たった1人からのスタートでしたが、あっという間にスタッフ10名弱、会員のべ150名強の団体組織になり、設立から病気になるまでの約10年余り、毎日必死で駆け抜けて参りました。
連日鳴り止まない電話。
平均20~30件。
次から次へと持ち込まれる相談、事件、問題。
事務局業務を終えても片付かない山ほどの業務。
眠る時間も食事をする時間も無く、せいぜい2時間寝るのがやっとの毎日。
それでも動物達を救いたいとの想いや使命感の方が強く、つらいと思ったことはありませんでした。
《街頭での里親探し&啓発パネル展、里親審査&訪問、譲渡、救済活動、保護・引き取り、相談対応、全国の活動家への指導、要望書作成、行政への意見書、署名活動、啓発活動、ホームページ作成管理、会員管理、会員指導、会員へのメーリングリストでの情報発信、活動報告、講演、マスコミからの取材対応、調査活動、勉強会、会計などの事務局業務、インターネット上で里親探ししている方々への里親詐欺被害防止のための啓発メール発信、里親詐欺情報収集、里親詐欺防止ネットワークへの情報発信、猫捕獲業者の被害防止のための見回り、ポスター配布、動物医療被害調査、自治体の殺処分現状調査、医療研究機関への実験動物取り扱い実態調査並びに改善要求、動物園調査、学校飼育動物調査、、、》
今ざっと書き出しても、まだまだきりがないほどの多岐に渡る激務でした。
我ながらよくこなしてきたなと思います。
素晴らしいスタッフ達の支えもありました。
今も本当に感謝しています。
しかし、スタッフと言えども、私を含め皆全員がボランティアです。
スタッフ達も日々の仕事や生活があります。
各担当を決め、分担して活動にあたってもらっていましたが、皆、出来る範囲での活動です。
だからどうしても限界もあります。
どれほどスタッフ給料制に出来ればと願ったことか・・・
スタッフ達が会社勤務のように1日八時間でも活動に時間を費やせれば、どんなにもっと沢山の命を救えるかと歯がゆい思いをしたことか・・・
している仕事量は一般企業と何ら変わらないほどなのに、非営利活動ゆえ、無報酬で会社勤務と変わらぬかそれ以上の激務をこなしていかなければならないのです。
募金や寄付だけでは活動資金ですら足りなくて、いつも赤字を私が生活費を削って充てなければならない状態で、スタッフ給料制など手の届かぬ夢です。
結局、全ての激務が私の肩にいつも重くのしかかっていました。
私はすべての活動の全体を監督・指示しながら、相談対応や窓口業務をはじめとする山ほどの事務局業務に常に追われなければなりませんでした。
ああ、あれもやらなければ、これもまだ出来ていない、あの件は急がなきゃ、あの方に連絡しなければ、ああ、あれも、これも・・・
夢の中でさえも、いつも あがいていました。
私達の活動は動物達の命がかかっています。
ゆっくり悠長にしている余裕もありません。
だから、ことさら、どんな無理をしても、こなしていかなければなりませんでした。
ただ、ただ、一匹でも多くの命を救いたい。
それだけでした。
家庭も家族も犠牲にしました。
活動資金にあてるため少しずつ生活費を使い、生活が苦しくてカードキャッシングを利用しているうちに借り入れがどんどん膨れ上がり多額の借金も作りました。
結果、自己破産にも追い込まれました。
自分の分相応以上にやりすぎたのかもしれません。
わかってもいたのです。
でも今日ほんとに全精力使い必死で一匹救っても、明日になれば今度はその2倍、次の日にはその3倍と、きりがないのです。
救っても救ってもきりがなく次から次に助けが求められるのです。
それを出来ないと言うことは命を見捨てること・・・
たとえ限界であっても、わかってもいても、目の前に救いを求めている存在がある以上、私にはほっておけませんでした。
私のこの病気までの10年は通常の20年30年くらいに相当する内容であったと思います。
文字通り、命を削っての活動でした。
残念なことに今の日本の現状はまだまだ非営利活動の社会的基盤が出来ていないため、素晴らしい活動や組織が資金不足、人手不足で、ほとんどの社会活動家は自らを犠牲にして社会に貢献しています。
あんたたちボランティアなんだから奉仕して当たり前、そんな人達も沢山いました。
何の報酬もない中で使命感と正義感だけで自分の身を粉にしている善意の他者に対して、「してもらって当たり前」と思うだけでも残念なことなのに、自分は何もしようとしないで無料の便利屋のように言いつけてきたり、してもらったことに難癖つけて何もわかっていないくせに非難したり・・・
欧米に比べ、日本の社会が慈善活動を上手に育てていけないのは、こういった国民ひとりひとりの意識がまだまだ未熟なせいだと思います。
善意を装って他人に全てを押し付ける無責任で身勝手な依頼者や飼い主の尻拭いに奔走させられることも少なくありませんでした。
抱えている案件が常に10~20。
それに先程羅列した様々な業務。
その上に後から後から きりのない尻拭い。
しかし使命感だけで無理に無理を重ねた日々は気持ちとは裏腹に少しずつ私の心と身体のバランスを崩させていきました。
最初は不整脈でした。
睡眠をほとんどとれない毎日でしたから、今から考えると無理もないのですが、突然「頻脈」といって、心臓の動悸が早くなり、まるでマラソンでもしたかのように苦しくなったり、電話対応していると耳が聞こえなくなったり、パソコンに向かっていると頭が痛くなり体が痙攣しだしたり・・・
少しずつ変な症状が出てくるようになりました。
でも不調を我慢して、私達の救いを待っている沢山の命のために、半年位それまでと変わらず日々の活動に追われる生活を送っていました。
そのうち不整脈で突然苦しくなって倒れ込んだり、外を歩いている時に頻脈を起こして呼吸困難で動けなくなり救急病院に行くことになったり、不調も深刻になっていきました。
このままではいけない。
切実に思いました。
一団体で出来ることは限られています。
全ての依頼をこなしてもいつまでもいつまでもきりがない。
愛護団体だけが救済を一手に担うだけでは現状は何も変わらない・・・
ほんの氷山の一角の、そのまた一角しか救いの手は届かない・・・
根本が変わらない限り、いつまでもたっても同じ事の繰り返しなのです。
では根本を変えるためには何が必要か。
動物を助けたいと思ってくれる1人1人が小さな事でもいいから自分の出来ることをする。
他人任せでなく自らが行動する。
そういう行動出来る人が育っていくように正しい知識や情報を発信していくこと、サポートするために相談窓口を設けること、そして、動物に今まで関心のなかった方々にもその裾野を広げていくために啓発をしていくこと。
救っても救ってもきりのない現状を嫌というほど見続けてきた日々の中で、それがプラーナの方向性になっていきました。
愛護団体がみんなの便利屋になるのではなく、みんなを育てていくリーダーとならなければならないと。
体調が優れなくなって、なおさらに、これからは啓発を主軸に力を入れていかなければならないとの思いが今まで以上に強くなりました。
私はプラーナを立ち上げた時から一番したかったことは啓発活動でした。
でも救済活動の方がどうしてもいっぱいいっぱいになり、一番したいことが後手に後手にと押しやられてしまっていたのです。
世間のプラーナへの期待が大きくなるにつれ、益々したいことが出来ない、させてもらえない状況になっていきました。
それもジレンマとしてあったのも事実です。
そんな状況であったある時、とある個人活動家から相談が寄せられました。
実際に手取り足取りのサポートを望まれているようでしたが、私達も他にも常時20近くの案件を抱えています。
ご経験のあるベテランの活動家の方もバックアップして下さっているとのことでしたので、フルのサポートは出来ないが、出来る限りのお力添えはさせて頂くということでご了承頂きました。
「私達が代わりに全面的に動くのではなく、ご依頼者に主として行動して頂き、私達はそれをサポートする」・・・いつもの私達が目指す、活動できる人を育てるという方針もありました。
それに抱えている20近い案件の影には、どれも私のサポートを必要としておられるご依頼者がおられます。
どれが大事でどれが大事でないというようなものではありません。
みんなそれぞれに大事なことなのです。
しかし、この活動家の方には、表面的には理解頂いたようでしたか、真にその点を御理解は頂けなかったのでしょう。
小さな言った言わない、そんなことから誤解が生じ、それがまわりを巻き込んだ残念な誹謗中傷になっていきました。
出る杭は打たれる。
動物愛護の世界は、足の引っ張り合いやくだらない誹謗中傷の多い特殊な世界です。
そういうものには参加しない、関わらないと毅然とやってきましたが、この時ばかりは本当に理不尽でやるせなく、とても残念で悲しい思いをしました。
スタッフの女の子も悔しがって泣いていました。
いっしょに動いてくれていた子は理不尽な誹謗にとても傷ついてしまい、動物愛護の活動が嫌になってしまいました。
私も体調が万全ではなかったので至らぬところもあったと思いますが、本当に悲しい思いをしました。
すぐ気持ちを切り替え、助けを待つ動物達と依頼者のため活動に戻りましたが、ある日突然、起きることが出来なくなってしまったのです。
それから半寝たきり状態になってしまいました。
うつ病の発症でした。
この前後半年の計1年位の記憶はほとんどありません。
ぽっかり記憶喪失のように抜けてしまっています。
電話の音にも怯えるほどで書けない、話せない、考えられない、と本当に何も出来なくなってしまいました。
プラーナも死んだように全てが止まってしまいました。
スタッフ達がフォローしてくれてはいましたが、エンジンの私が壊れ次第に全てが停止していきました。
その間、私は廃人のような状態で、公に何の説明も出来ず、沢山の方々や会員の皆様にご迷惑をかけてしまいました。
半年程そんな状態が続きましたが、少しずつ最低限の業務に復帰していくことが出来ました。
でも体調不良はそれから五年程過ぎた今も引きずっているほどで、当時も復帰といえ完全ではなく、活動を縮小せざるを得ませんでした。
そこで兼ねてからの願いであった啓発活動に絞り、啓発を主軸とする方向に活動をシフトチェンジしていったのです。
そして現在に至ります。
私はあれから全く書くということが出来なくなっていました。
連日山ほどの活動報告等、いつも執筆に追われていたせいでしょう。
②に続く