何が最善なのか考えよう。

誰にとって?

誰かのためになんだけど、

最後にそれが誰のためになったか、絶対的な答えは見いだせない。

金に困らない生活を子供に与える事が親の義務?

浅はかだ。

子供の前では仲良し夫婦を演じましょう?

それも浅はかだ、子供の目をそもそも舐めている。

そんな事、子供時代に自分の親がやっていて、ある時に気づいてしまって、信じるものがわからなくてグレてしまって、私みたいにグレて欲しくないからと、理想の両親を演じようと必死になって、いつの間にやら仮面夫婦、我が子はぐれて、叱れば子供に罵られる『お母さんが一番嘘つきじゃん!』

…、ああ、こういうよくある昼ドラ、こういうドラマが日常生活に嫌気が差してる奥様方には突き刺さる、『あのドラマ面白いのよ。』仕事から疲れて帰った夫はそんな妻を見て(こいつ、つまらないオバサンになったな…)と思い、なんとなく、自分もつまらない中年になったなと嫌になり、家庭が苦になり、仕事帰りにママがいる飲み屋による回数が増え、滞在時間が長くなり、帰宅即寝、女房は今度は昼顔にハマる。この世の中は、無情すぎて面白い。

誰からも愛されるようなポップで無難なカッコいい男ではなくて、誰か一人の女の人にこの人に出会って添い遂げる事が私の女としての喜びの全てでしたと思わせる様な生き方をしたいね。

そしたらね、一般論で自分の気持ちを語っちゃダメだ。真っ直ぐな嘘偽りない自分の言葉を発さなければダメだ。

媚びない。

相手を気持ちよくさせる言葉は往々にして必要だけど、媚びちゃダメだ。

そう思って生きれば必然的にブラックジョークを覚える、ブラックジョークを発した瞬間、昔の仲間から『アイツは変わった』と後ろ指を刺され脚を引っ張られる。

賢くなる事は悪じゃない、処世術は、むしろ、お前たちのためにやっているのに、でもそれがわからない思慮の浅いけど気心の知れた昔からの仲間達。

彼らは大観を見極めるという考えができないらしい、先祖代々の恨み辛みを継承することが己の生きる意味だと信じて疑って、やっぱり信じて死ぬが我が命、そして我が子の宿命と受け継がせることに必死にしかなれない。

おまえの正義って何なんだ?

その問に答えることができる大人が一体何人いる?

気がつけば、僕も大人、いやいや気づくのが遅い、もう今年で38歳だ。

宮沢賢治もゴッホもちゃんと生き切った年数以上を僕は生きたというのに、僕は一体何をしてきたのか?

まあ、この感情は高校時代の夏休み、クーラーの効いた散らかった部屋で横たわってスイカバーを咥えながら甲子園球児の活躍をどこか今の自分って何なんだろう?と疑問に抱く感情の拡大版で大した意味は持たないのだけど、現状維持ではダメだと思い、行動に移す原動力の一部には十分すぎる熱量を持っている。

この世の生物は多様性を得る為に牡牝をつくり交配し、発展はし滅びてきた。

人間界もきっと同じことの繰り返し、人間が創り出した『理性』というものは反自然的現象で、でも人間は自然から生み出たものにほかならない、そんな事は数千年も前にブッダとか、どこかの村の長老とか賢者さん達が考えに考えて行き着いた哲学的な常識、真理なんだけど、それらは知性となって、なかなかうまく個々には伝わらない。

一つ、確実に確証を持って僕が言える事はいつか必ず僕は死ぬし、息子も死ぬし、人類は滅びる。僕の人生に意味を見出せるのは僕自身が生きている今だけでしかない。

だから、やりたいことがあるべきだし、やりたくないならやらなくてもいい、ただ、そこで人は初めて気づくだろう、嫌なことから逃げ続けてたどり着いた先にはやりたいことができない現実に。

でも、それでいい。

そこで人は初めて自分が行きたい道をみつけられるスタートラインに立つことができたのだから。

それはできるだけ早いほうが良い。

それは実は常に現れかねない未来でもある。

僕は、いつもそう思ってる。

競馬の社会から離れ、馬に乗れなくてつらい?

ウソだね。

僕は、自分が一生馬乗り、と自分に言い聞かせたほうが、何をやっても中途半端な自分を脱却するために努力するという時間の経過の中に身を置けると信じ切って演じきって来たにすぎない。

時間の概念を理解すれば人は案外、誰でもひとかどの人物にはなれる。

まあ、でも、ひとかどの人物になるより兵隊アリのような生き方を望む人のほうが多い様だ。

それも多様性で片付けられてしまう。

僕は僕が気づいてしまった生き方を貫いたらいい。

普通じゃないのは皆様からお墨付きだから。