『道ありき』

のんびりと読んでます。


12月20日のキリスト教会のクリスマス会で頂いたプレゼント。
まだ102ページ目だから、どんだけのんびりやねん(笑)


救われる

という感覚が解らなかった。

そもそも僕はこの世に変な期待をしていない。

物心ついたときから、たぶんそんなんだったと思うよ。


だから、別にそれを考えることをしなかった。


両親が、変に夢をもたせるような教育をしてこなかったからね。

サンタはいる、とか神様はね…とか。

だから現実と創りものの違いは解ってた。

まぁ、ホラー映画を見た夜は怖くて眠れなかったり、おもちゃの仮面ライダーの変身ベルトで変身できなくて泣いたりなんて子供らしい思い出もそりゃあるけどさ。


信じたい
とか

とか、ないんだよな。

本当に。


ただやっぱりね。
24歳のとき、癌で母親が死んだときにね。

思ったんだよ。

『人生に意味なんてないよ』

『うん、知ってる』

『でも、なんで僕は今、こんなに悩んでるんだろう?』

『無意味だよ。だけど僕は死ぬときどうありたいの?』


無気力人間では決して無くて、思い通りにしたいことはあって、でもそれって理想だよなって、実現させることより、なんか諦めることに慣れてきていて、ふと子供の時に思ったことを思い出した。

『大人になったら自由にやりたいことやれるんだよな』

子供の頃、夢見た大人に今、僕はなったというのに、全然俺そんなんでない。


そんなんでない、それで良いの?

即答で

『良いわけないだろ』

って、僕の心が返事したんだよね。

そんな僕の心の中での会話が嬉しくて

僕は母親が死んだとき、

笑ってた。


お母さん、ありがとう。


悲しみと喜びが複雑に絡み合って、静かに笑ってた。

その時の感情をなんとか言葉で表現したくて、僕は母親が死んだときのことを良く書く。


あのとき、出会った感情を人は『神』と言ったり『仏』と言ったり『キリスト』と言ったり、子供時代に教育された『象徴』に当て嵌めるんだろう。

まぁ、それが僕の場合は無くて、その象徴に当てはまるのは『死んだ母親』だったんだけど、ずるいことにその顔は僕次第でどんな風にも変わるんだよね(笑)

釈迦にもなるし、キリストでもいいし、笑顔のジョン・レノンであったりもする。


でも、僕、その正体が何か知ってんだよ。



ジジイになった僕なんだよね(笑)

記憶と言葉とイメージの産物が僕のすべてさね(笑)


僕の神様は成りたい未来の僕自身。


だから好きなんです。


『天上天下唯我独尊』