https://twitter.com/_Buddha_Quotes/status/1414852859200380928?s=0

 


 『自らの悪事から逃れられない。

高い空を飛んいようが、海の真ん中にいようが、

深い山の奥、何処にいようが逃れられない。

〜ザ·ブダ


ほとんどの人は、

自分自身の理念に反する行いをすれば後悔をする。


たとえ、

それが誰にもに認識されないままになっても

後悔する。


それが、

思い出の中に埋もれてしまっても、時に夢や得体の知れない不安感に襲われたりする。


例えば、

あなたは、なにかを壊してしまったとする。


それは、

誰かにとって、とても大切なものだったとする。


そして、

それは誰にも、あなたが壊したことは知られることは、無かったとする。


時の流れとともに、その誰かの傷は癒やされ、

まわりのみんなもそのことを忘れてしまう。


でも、

あなたは覚えているだろう。


あなたの心に『良心』がある限り、

それは繰り返し襲ってくるであろう。


時が過ぎ、

あなたは良心が苛まれて、耐えられなくなって、

傷ついた誰かに打ち明けたとして、

みんなに謝ったとして、それは

めでたし、めでたしと、

なるだろうか。


傷ついた誰かにとっては、せっかく忘れたことを掘り返されて、とても迷惑なことかも知れない。

みんなは、思い出せもしないだろう。


あなたは、再び後悔をする。


何故ならば、

あなたには『良心』が、あるからだ。


あなたの心が開放されない限り、

あなたは、自分の『良心』に扮した、強迫観念にも似た『執着』と、自己に向けられた攻撃性に

苦しめられるか知れない。


それらは、

事実以外の全ては、

自分の心の中で派生したものだと

確信出来なければ、

そのことはあなたを苦しみ続けるだろう。


自分の心は、

自分しか守れない。