「読み終わったチャプターを読み返している内は、人生の次のチャプターへは進めない」

 

この文章を読んで、私を読書好きにした本を思い出した。

 

それまで、私は本はほとんど読んだことが無かった。

学校の教科書を読むのに疲れて、目で文字を見、頭で意味を思い出し、前後関係と照らし合わせて行くというプロセスが致命的なほどに嫌いであった。

ついでに言うと、何かを読んでいる時に、言葉が耳から入って来ると、そちらの方に興味が向いてしまっていた。

そのことは、余計に文字を見ることへの嫌悪感を私に再確認させていた。

 

しかし、ある時学校でディスレクシアを疑われて専門家の面談を受けた。

その面談の終りで、専門家から言われたことは、

 

「読まなければ、読めるようにはならないよ」

 

あたりまえだ。

 

私は、その足で本屋へ向かった。

本棚の背表紙を見ても、あまり気持ちは動かなかった。

 

その本屋を後にしようと、出口に向かうと、そこの『Price Down』のコーナーが目に入った。

 

一冊の本が目に留まった。

美しい仏像の写真であった。

白黒の写真に写るその仏像は、手が細長く、右斜め前を見つめるような風に片方の手で頬杖をつく形のポーズで、空を表情のない瞳で見つめていた。

 

その本こそが私の本嫌いを本漬けに変えた本であった。

 

『Siddhartha』

ヘルマン・ヘッセ著

 

であった。

 

その本は、Siddharthaという名前の美しく頭の良い男性が、厳しい家を飛び出して、大金持ちになり、やがてその富を捨て、川の船渡しになり、最愛の息子に、かつて自分が父親にした様に旅立たれて、悟りを得る物語である。

 

Siddharthaで特に感じられ、ヘルマン・ヘッセの他の本の中にも感じられ、私を本好きに変えた私自身の中に幼い頃から存在した感覚は、

 

人生は、まるで川の様。自分が何処を流れているかよく注意しながら通り過ぎれば、どこに向かっているのか分かるものである。しかし、川の中に泳いでいる魚や川底の美しい石に心奪われている内は、向かっている先に何があるのかは分からない。

 

私たちは往々にして、過去にあったことに心を捕らわれる。

トラウマであったり、他人の言葉や表情であったり、失ったものであったり。

 

その、私たちを時にがんじがらめにしてしまう、しがらみから心が解き離れた時に、私たちが人生や、自分自身の意味が分かるのかも知れない。