『心が乱れている時の自分自身の言葉は信じてはならない。

心が穏やかになるまで、じっと待つ。』


心が乱れる時、心が何かに対して反応している。

外からの刺激や内側から込み上げてくるものにであったりする。


そのような状態で、自分の口から出てくる言葉は、時にして自分でも信じられない程に激しいものになる。


それによって、取り返しのつかないことになったりもする。


特に、その言葉が他者に向けられた時、複雑にこじれる。


何故ならば、その言葉が、心の乱れた状態から出てきたものであることや、攻撃性がその他者に向けられたものではないことは、その他者には、時には自分自身にも認識できないからである。


だからこそ、何か言葉を発する時は、その相手が他者であろうが自分自身であろうが気を付けたい。


しかし、

神は、何故、私たちをお互いの心の中が見えないようにしたのであろうか。

たまに、例外も存在するらしいが、ほとんどの人々は相手の心の中は相手の表情や反応、発する言葉等等からでしか判断することはできない。


もしかしたら、私たちが、今、ここに存在する理由は、そんなところからも見えてくるのかも知れない。