今から丁度48年前の今日、昭和50年9月21日にクールスは
シングル「紫のハイウェイ」とファーストアルバム
「黒のロックンロール」をリリースしてデビューした。
同年4月13日に解散したキャロルのラストライブの警備を担当するなど
キャロルと親交のあったクールスはキャロルの後釜と期待された。
クールスデビューに当たってキャロルの永ちゃんとジョニーが
ラストライブの時のお礼や親交のあるクールスデビューへの
お祝いのはなむけとして曲をプレゼントしている。
黒のロックンロールのプロデュースも担当したジョニーは
「ドント・ゲット・ホット・クールス」「愛しているなら」
「あの娘はステディーガール」「ワン・デイ」の4曲
永ちゃんはシングルカットもされた「紫のハイウェイ」
「行ってしまったあの娘」「セカンド・イズ・ユー」の3曲を
五大洋光のペンネームで楽曲提供しているがこれらの
楽曲は全てクールスリーダーの舘さんが作詞を担当した。
永ちゃんはキャロル時代やソロになってからも数々の名曲を
生み出しているが永ちゃんが他人に楽曲提供したのは極めてレアケース。
僕の知る限り1975年12月にリリースされたアイドル歌手、南沙織さんの
アルバム「人恋しくて」に収録されてる「哀しみの家」「夢をかえして」
という2曲と同年にリリースされた星正人さんのシングル
「ガラスの青春」とB面の「グッバイ・ベイビー」の4曲だけだと思う。
二人への楽曲提供の経緯はわからないが南沙織さんの場合は
後に彼女と結婚するキャロル時代から永ちゃんと親交の深かった
写真家の篠山紀信さんの絡みがあったんじゃなかろうか。
ちなみに全盛期の近藤マッチが永ちゃんに楽曲提供を熱望したが
体よく理由を付けて断られている、僕に言わせれば当然だ100年早い(笑)
いや~、超シブイ!
個人的にはやはりクールスは舘さん在籍時の
初期が最高にカッコいいと思いますね~!
てか、ちょっとマニアックな事を言わせて貰うと元キャロルの
二人が提供した7曲の中で「ドント・ゲット・ホット・クールス」は
ジェームスさん、「ワン・デイ」はピッピさんがメインボーカルを
勤めているが他の曲は全て舘さんがメインボーカルを務めており
クールスのフロントマンの一人だったムラさんは1曲も歌ってない。
黒のロックンロール収録の曲でムラさんは近田春夫さん提供の
「グットバイといわないで」「シンデレラ」「言えなかったんだ」の
3曲でメインボーカルを務めているがクールスでは曲によっての
メインボーカルは誰が、どういう基準で決めてたんだろうか?
その事はメンバーの著書を読んでも誰も何も触れてない。
まあ初期のクールスのメインはリーダーの舘さんだから
舘さん主導で話し合って決めてたんだろうな~。
今度メンバーの誰かに会ったら是非訊いてみたいですね。
ジャンジャン!!