1977年(昭和52年)マネージメントの専属契約をしてた上条英男氏
プロデューサーのロビー和田氏を解雇したクールスは
「フリージング・オフィス」という会社を自ら設立して
ロカビリークラブとしてはセカンドアルバムになる
「ビー・ア・グット・ボーイ」とシングル「QUTY SUE」を
制作して11月にリリースする事になる。
<ジェームス藤木・談>
プロデューサーに近田春夫を迎え新宿にあったフリーダム・スタジオで
レコーディングを始めたがレコーディングは水を得た魚のようにスムーズだった。
キーボードはクールスを深く理解してる近田春夫だし不自然な人が
いないから100%自分たちの感覚を信じて取り組めた。
アルバム冒頭の「BE A GOOD BOY」は乱暴な歌詞だが
当時の俺の正直な気持ちが見事に表現されている。
「あの娘はマタニティ」シングルカットされた「QUTY SUE」は
山本亜沙里という女房の名前をペンネームにした
ディレクターの増井淑博が作詞している。
ちなみに前アルバム「クールス・ロカビリー・クラブ」と
「ビー・ア・グット・ボーイ」のレコードジャケットは物語性を持たせた。
クールス・ロカビリー・クラブのレコードジャケットで痛めつけた相手から
ビー・ア・グット・ボーイでは仕返しを喰らうという設定だった。
撮影は俺がよく行っていた代田橋のガソリンスタンドを使わせてもらった。
シングルカットされた「QUTY SUE」はキャンディーズの
スーちゃんをイメージして描かれた歌詞だという事だ。
個人的にはアルバム「BE A GOOD BOY」は舘さんが脱退して以降の
クールスのアルバムで一番好きなアルバムで名曲揃いだと思う。
「ひびわれたグラス」はデイブ・クラーク・ファイブの
「ビコーズ」が元になっていて、フランクさんが書いた歌詞も良かったと
ジェームスさんも仰っているが僕も大好きな曲だ。
フランクさんの生歌を何度も聴いたが何度聴いても鳥肌が立つ。
中学生の頃に失恋して繰り返し100回聴いた思い出の曲だ(笑)
<横山剣・談>
17歳の夏「ひびわれたグラス」を聴いて心が震えた。
この名曲に漂う青山的メトロ感が一瞬にして銀座線のホームの
地下鉄臭を伴って11歳の夏へとワープさせてくれた。
パリのメトロにも通ずるものがあった。
一瞬の光の向こうに説明のつかぬ渦のような何かを感受したのだが
その渦こそが「ひびわれたグラス」を媒介する
クールスの世界と見事に一致するのだ。
アルバムに収録されている「ジャーニー」はこの後発売になるクールスの
ライブアルバム「デットヒート日比谷」を始めクールスのライブでは
なぜかムラさんが歌うがオリジナルはジェームスさんがボーカルだ。
センチメンタルな切ないバラードは秀逸な曲で個人的には
ジェームスさんが歌うバージョンの方が好きですね。
と、いう事だが前アルバム「クールス・ロカビリー・クラブ」の
アルバムジャケットでムラさんが着てる赤いブレザーに感化されて
高校生になってバイトして買ったと書きましたが
今度は「ビー・ア・グット・ボーイ」のアルバムジャケット見て
メンバーが着てる革のファラオコートに感化された僕は
またしてもバイトしてヒデミツさんの店「チョッパー」の通販で
ロングタイプを別注で制作してもらった。
あの頃の呉で革のファラオコート着てるのは僕しかいなかった。
やがてロング丈はダサイと気付き短くカットしましたけどね(笑)
まあそれくらい思春期の僕はクールスに傾倒してたという事です。
ロックンロール・ファッション・バイクの3つの趣味は
全てクールスから感化され始まったという事です。
ジャンジャン!!