1976年7月、舘ひろしさんがクールスに在籍した時代の
最後のシングルになる「恋のテディーボーイ」が発売された。
翌年1977年4月に発売になった舘さん在籍時の最後のアルバム
「ハロー・グッドバイ」に収録されてるライブにおいて舘さんは
恋のテディーボーイを「俺の一番好きな歌・・・」って発言されている。
個人的にもクールス在籍時の舘さんボーカル曲で最も好きな曲だが
実は恋のテディーボーイはR&Rバンドクールスの音楽的屋台骨を支えた
ジェームスさんの曲じゃなく大木トオルさんが作曲している曲なんですよね。。
(大木トオル)
<ジェームス藤木・談>
「ぎんざNOW!」にレギュラー出演してる頃、演奏力を上げる
必要があったので、舘が大木トオルを指導役に連れて来たんだ。
大木トオルは日本におけるブルースの第一人者とされていたミュージシャン。
俺とは同い年だし、俺は錦糸町で彼は人形町と
どっちも下町育ちなんだけど、人間のタイプは少し違ったな。
恋のテディーボーイのB面に収録されてる「バースディ」はジェームスさん作曲で
ジェームスさんの著書「ジェームス藤木・自伝」で制作経緯や
曲の特徴などを語っておられるが「恋のテディーボーイ」に関しては
やはり他人の曲という事なのか、まったく触れられていない。
どういう経緯で誰がアップしたのかわからないが「恋のテディーボーイ」を
レコーディングしている場面の映像をYouTubeで見た事あるが
ボーカル入れしてる舘さんの映像と共に控室にいるメンバーの映像と
音声も入っており活字に出来ないようなメンバーの悪態の声が入ってる。
舘さんはアルバム「ハロー・グッドバイ」発売と同時期に
正式にクールスを脱退してるが「恋のテディーボーイ」の
レコーディング時には既に孤立されてたのが見て取れる。
<ジェームス藤木・談>
次のツアーが始まると、舘と他のメンバーたちとの不協和音が表面化してきた。
ステージ以外での会話は減って、しまいには楽屋も別になってしまった。
そして冬のある日、俺たちに召集がかかった。
原宿の「パレフランス」1階にあったカフェに行くと
ずらり揃ったクールスの面々の顔を見つめて
舘ひろしは「俺、クールス辞めるよ」と宣言したんだ。
いずれクールスは終わるだろうなと感じていた俺は
その言葉を聞いて少しも驚くことはなかった。
不思議なほど冷静に受け止めることができたんだ。
バイクチームとしてクールスが結成されて2年が経ち
あまりにも大きな変化が俺たちを取り巻いていた。
このブログで何度も言ってるように事の本当の経緯は
当人たちにしかわからないし、立場がによって見解は違う。
てか、当時のバンドなんて殆ど似たり寄ったりの経緯を辿ってる。
と、いう事だが個人的には4年前にクールスのジェームスさん
フランクさんの演奏で「恋のテディーボーイ」を歌わせてもらったが
中高生の頃に憧れたクールスのメンバーの生演奏でコーラスまでしてもらい
大好きなクールスの曲を歌わせてもらったのは一生の思い出だ。
当日はまったくこんな予定はなく急遽の事でぶっつけ本番だったが
こんな事になるのなら、もっと練習しとけばよかったな~
まあ歌詞を間違わなかったのが、せめてもの救いですがね(笑)
ジャンジャン!!