ROAD TO AMERICA  クールス’90の記録 | PRAINSのブログ

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先日発売になった元クールスのベーシストである大久保喜市さんの著書

「ROAD TO AMERICA クールス’90の記録」がAmazon Bookから届いた。

 

1984年(昭和59年)に一旦活動休止になってたクールスが

1990年(平成2年)に大久保喜市氏の呼びかけにより

村山一海、佐藤秀光、ジェームス藤木、フランク、大久保喜市の

オリジナルメンバーが再び集まり、Original Cools ’90を結成。


LAでのレコーディングと、ハーレーで砂漠を疾走する

MV撮影を記録した未公開写真90点を厳選公開。

バイクとロックに魅了された喜市さんがクールスとの出会いと別れ

10年のアメリカ生活、そして再びOriginal Cools ’90で

再活動するまでの軌跡を写真と文章で綴るフォトブック。

バイクでつながったクールスの原点を写し出す一冊となっている。

 

 

中学生の時にクールスに出会い追い続けた7年後の1984年に

「キングス・オブ・ロックン・ロール」をリリースしたクールスだが

同年に横山剣さんとトニー萩野さんが脱退したという情報を最後に

当時何の情報も入って来なくなり個人的にはどうなったんだろうと思ってた。

今のようにSNSもないし広島の片田舎に住んでると情報なんて入って来なかった。

 

クールスの事も忘れかけてた1990年、何の前触れもなく突如クールスが

アルバム「Orijinaⅼ Cools ’90」をリリースしたのは驚いた。

アルバムのリリースもそうだが、そこには1981年に脱退して

渡米したはずのキイチさんが加わっていた事も嬉しい驚きだった。

 

 

(大久保喜市・談)

1981年に自分を見失ってクールスを脱退してアメリカに渡り8年が経ち

心の傷になってたものを吐き出す必要があった。

やっと過去をかみ砕いて見つめ直す事が出来るようになった。

そして書き始めたのが「ストレンジ・ブルー」だった。

 

もう一つ未処理なものがあった。

クールスのメンバーとあやふやな関係のまま何も言わずに

日本を去ったので皆と向き合って関係を修復し

クールスとして一つの形を作りたかった。

 

その頃のクールスはレコード会社と所属事務所の契約が切れてから

メンバーが次々と脱退して活動をしていなかった。

そのまま何もしないで時代の波にのまれてバンドとしての

歴史を終えてしまうのは残念に思えた。

 

東京でメンバー一人一人に連絡して再会してオリジナルメンバーで集まって

新しいアルバムを出すプロジェクトを打診すると皆快く承諾してくれた。 

 

 

(ジェームス藤木・談)

ポリスターとの契約が切れた1984年からクールスは沈黙の期間に入っていた。

それぞれが日々の生活に追われ散り散りになっていたんだ.

そんな中、90年代を前にクールス再結成の話が浮上した。

期間限定の活動を前提としたこのアイデアを持ち込んだのは

ベーシストの大久保喜市。

 

81年にクールスを脱退した後、渡米してLAで映像制作の仕事に

就いていたキイチは、ロサンゼルス録音で新しいアルバムを

リリースするプロジェクトを企画して見事にディテールを取りまとめ

俺たち一人一人を訪ねて来たんだ。

俺と秀光はケントスでキイチと会ってこの話を聞かされた。

気がつけばデビューから15年もの歳月が経過していた。

 

そうして「Original Cools’90」のアルバム制作が始まる。

LAでは3カ所のスタジオを使ってレコーディングが行われた。

LAの砂漠を俺たちがハーレーで走ったんだけど

みんなでバイクに乗ったのは久し振りだったんで

原宿時代を思い出して懐かしかったね。

やっぱ仲間が揃うと楽しいもんだと思ったよ

 

 

(佐藤秀光・談)

横山が去った1984年、「人生の休み時間に入ったんだろう」

当時の俺は自分の置かれた状態をそう判断した。

ただし、これは休戦であって終戦じゃない。

クールスは決して解散しない。

多少時間がかかってでも、この状態を立て直しクールスの活動を

再び軌道に乗せるしかない、そう思うとなにふり構っていられなかった。

 

笑いたい奴には笑わせとけばいい。

俺にはもう怖いものなんてなかった。

以前と違ってレギュラーでのコンサートなんてなかったが

声がかかればどんな場所にも出向いて行って

ゲスト出演でのライブ活動を続けていった。

 

その成果が実り1990年にはアルバム作りやレギュラーの

コンサートも本格的に復活していった。

 

 

1975年(昭和50年)キャロルの解散に伴いデビューし

一気にスターダムにのし上がったクールス。

その9年後に停滞期に入りバラバラになったクールス。

そして、その6年後にキイチさんのアイデアにより復活したクールス。

 

2015年にはクールス40周年ライブを呉で開催したが

あれから既に7年の歳月が流れた。

そりゃ長い事やってりゃ色んな事があるし

内部の人間にしか分からない事はいっぱいありますよ。

 

今年、元キャロルの永ちゃんはデビュー50周年を迎えたが

3年後の2025年にはクールスも50周年を迎える。

往年のクールスファンはクールスが50周年に

どんな事を見せてくれるのか楽しみにしてます。

ジャンジャン!!