今年も残すところあとわずかになりましたが今年も多くの著名人が亡くなりましたね
生ある人はいつか必ず死が訪れるんですが同じ昭和の時代を生き沢山の功績や感動を与えてくれた方たちが亡くなるのはとても寂しいし残念に思いますね
謹んでご冥福をお祈りいたします・・・
さてシリーズでお送りしています「続伝説の人達」ですが11回目の今回は日本の漫画業界の生みの親と言っても過言ではない日本の漫画家の第一人者手塚治虫さんを取り上げたいと思います
日本人なら手塚さんを知らない人はいないと思うし何らかの作品を見た事はあると思います、それほど手塚さんは偉大であり功績があった方だと思いますね
手塚治虫さんは1928年11月3日大阪府豊中市に3人兄弟の長男として生まれたそうです
開放的な家庭に育ち、漫画とアニメーションに親しみ、機智に富んだ想像力豊かな少年であったそうです
開放的な家庭に育ち、漫画とアニメーションに親しみ、機智に富んだ想像力豊かな少年であったそうです
また昆虫をこよなく愛し、ファーブルを思わせる少年でもあったそうで自身のペンネームに「虫」という字を当てたことでも、その興味の程がわかりますよね
戦争体験から生命の尊さを深く知り、医学の道を志して後年医学博士になるが結局彼自身が一番望んだ職業を選んだんですよね、すなわち漫画家、アニメーション作家だったという事です
手塚治虫が創作した漫画とアニメーションが、第2次世界大戦後の日本の青少年の精神形成の過程で果たした役割は計り知れないものがあるそうです
手塚さんはそれまでの我が国の漫画の概念を変え数々の新しい表現方法でストーリー漫画を確立し漫画を魅力的な芸術にしました、また、彼の作品は文学や映画をはじめ、あらゆるジャンルに影響を与えたそうです
同時にアニメーションにおいても、漫画におけるそれに勝るとも劣らない大きな足跡を残したという事です
我が国初の連続TVアニメーション「鉄腕アトム」や連続TVカラーアニメーション「ジャングル大帝」、2時間TVアニメの「バンダーブック」など、これらの作品の愛すべきキャラクター達は、TVを通じて日本中を席巻し、アニメーションを大衆に深く浸透させることになったんですよね
また手塚の作品は、アメリカ、ヨーロッパ、アジアの各国にも輸出され、世界の子供達の夢を育みました、加えて大人向け長編アニメの制作など、アニメのあらゆる可能性にチャレンジしたということです
これらのTVアニメ商業アニメにおける業績に加え晩年は実験アニメにおいても国際的に大きな評価を得ました
それらのすべての作品には、手塚の永遠のテーマある生命の尊さが貫かれています
偉大な文化の創造者である手塚さんは立ち止ることを知らず常に大いなる開拓精神と飽くなき情熱と未来を見つめる確かな眼差しを持って、その生涯を走り抜けたんですよね
偉大な文化の創造者である手塚さんは立ち止ることを知らず常に大いなる開拓精神と飽くなき情熱と未来を見つめる確かな眼差しを持って、その生涯を走り抜けたんですよね
そんな手塚さんですが1989年2月9日その60年の生涯を閉じました
どの作品も懐かしいですね~、子供の頃テレビアニメや漫画で見たものばかりですが今でもよく覚えていますよ
ブラックジャックは少し後だったと思いますがアトムもリボンの騎士もジャングル大帝レオも保育園児から小学校低学年くらいにテレビアニメで観ていた記憶がありますね
海のトリトンもふしぎなメルモちゃんも見てましたね~
「オ~リハルコ~ン!」ってやってたしメルモちゃんが薬を飲んで変身する時服が破れるのが刺激的でしたね~
現代においては何てことないんですがね、笑
でもやはり一番好きだったのはマグマ大使ですかね、コミックスで見たのはあまり印象に残ってないんですが
実写版は欠かさず見ていましたね~
「♪ア~スがうんだ~せいぎのマグマ~ ち~きゅうのへいわをまもるため~・・・♪」ってよく歌ってましたね
手塚さんはお亡くなりになりましたが手塚漫画は色褪せることなく後世に伝わって行くと思いますね、ジャンジャン!!
おまけ
漫画繋がりと言う訳でもないんですが先日広島出身の漫画家ではだしのゲンの作者である中沢啓治さんが亡くなられたそうです、謹んでご冥福をお祈り申し上げます。
はだしのゲンは小学校の時学校の図書室にある唯一の漫画本だったんですよね、子供心に気味悪いと思って読んでましたが悲惨な戦争や原爆を後世に伝える素晴らしい作品だと思います、決して風化させてはいけませんよね、特に僕は広島県人ですからその思いは強いですね・・・
ちなみに中沢さんも手塚さんに憧れ影響を受けた漫画家の一人だったそうです。