続 伝説の人達 ⑨ | PRAINSのブログ

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イメージ 1   勝新太郎
 
1931・11・29~1997・6・21
東京都出身 昭和の時代に市川雷蔵と共に大映の二枚看板として一世風靡した俳優 また勝プロダクション社長としてプロデューサー・脚本家・監督・演出家としても活躍した
 
う~ん、俳優としても個性的な人であったが
人間としてもこれだけ個性的な人は昭和の時代を見渡してもそうそういなかったんじゃないでしょうかね~
 
全ての面で個性的であった為波乱万丈な人生だった勝さんでしたが人気絶頂な時でも人生のどん底の時も終始変わらず大スターであり続けてましたね~
 
勝さんのお父さんは「長唄三味線方」の師匠だったそうで勝さんも10代の頃から長唄三味線の師匠として深川の芸者さんに稽古をつけていたそうですよ
 
イメージ 21954年に勝さんは長唄三味線の師匠としてアメリカ巡業に行かれていたそうです
 
その巡業中に撮影所で当時のあるハリウッドスターを紹介されて感化され映画俳優になる事を決意したそうです
 
「あるハリウッドスター」って誰だと思います?
僕も大好きで以前このシリーズでも取り上げた事のある
ジェームス・ディーンだったそうです
 
この事は僕も知らなかった、記事を書くのに調べてみて
初めて知りました、ちょっと驚きましたね~
 
映画俳優として23歳の時大映京都撮影所と契約して
1954年に「花の白虎隊」という作品でデビューしたそうです、大映社長に可愛がられ次々に主要な役を与えられたのに人気が出ず映画館の館主達から「勝を主役にした映画を作るのをやめてくれ」と苦情が絶えなかったそうです
 
転機になったのは1960年の「不知火検校」という作品
だったそうです
 
 
イメージ 3
      その作品で勝さんはこれまでの役のイメージを変えて野心的な悪僧を演じられたそうです
      勝さんは長谷川一夫さんに憧れていたそうで二枚目俳優を最初目指していたんでしょうね
 
      でもそれでは人気が出ずアクの強い悪役を演じた事で人気が出たという事なんだと思います
      勿論僕は当時の事は生まれる前で知りませんが何だか分かるような気がしますね、笑
 
イメージ 4僕の世代になるとやはり勝新太郎と言えば
このシリーズのイメージが大きいですね
 
昨今ビートたけしさんもリメイクで演じられました座頭市シリーズですよね
 
このシリーズは1962年に始まったそうで
1989年まで多くの作品が制作されています
 
僕が子供の頃見ていたのはどのシリーズかは
分かりませんが水戸黄門や銭形平次などと共に良く見ていた記憶がありますね
 
僕が子供だった昭和の40年代は所謂
「チャンバラごっこ」と言う遊びがまだ残っていた時代で友達と木切れを持ってチャンバラごっこをやってましたね~
 
「あっしには関係ない話でござんす・・・」
って薄目を開けながら真似したもんです、笑
 
座頭市は刀の持ち方が独特なんですよね
通常刀の刃が人差し指側に来るように持つ物なんですが座頭市は刃が小指の方を向いているんですよね、そんな所を真似して遊んでいた物です、笑
 
このシリーズで不動の人気を得た勝さんは次々と映画・ドラマに出演します
そんな数多い勝さんの出演作品の中で僕が最も印象に残っている作品があります
 
イメージ 5
1987年に放映されたNHK大河ドラマ
「独眼竜正宗」での豊臣秀吉役です
 
通常豊臣秀吉は猿というあだ名があるように小柄で猿顔の人が演じる事が多いんですよね
 
恰幅の良い勝さんはどちらかと言えば
狸と呼ばれた徳川家康向きだと思うんですよ
 
しかし僕の違和感をものともせず見事に勝ワールドの秀吉を演じ切った
見事でしたね!
 
 
この作品は現在ハリウッドでも大活躍の渡辺謙さんが主役の伊達正宗を演じましたが当時まだ謙さんは若手で
知名度も低かった、秀吉と正宗の関係と勝さんと謙さんの関係がダブって見えて面白かったですね、
 
イメージ 6
勝新太郎の奥さんが女優の中村玉緒
言うのは有名ですよね
 
お二人は1961年に御結婚されています
離婚する事が珍しくない芸能界において
あれだけ個性的な勝さんと終生連れ添った
玉緒さんは御苦労が多かったでしょうね
 
晩年、勝さんはこう語ったそうです
「中村玉緒は勝新太郎なしでも存在し得るが勝新太郎は中村玉緒なしでは存在し得ない」
 
この時の発言を玉緒さんは勝さんの死後に人伝いに聞いたそうです
 
「生きてる時に言ってくれれば・・・」
と玉緒さんはいったそうですが、いい話ですよね、ちなみに勝さんの言葉、僕と同意見です!爆
 
お二人は京都の撮影所で出会ったそうですが勝さんが生きている頃
「亀岡(京都府亀岡市)にお墓を建てて2人で戻ってこよう・・・」
って話していたそうです
 
イメージ 7勝新太郎の実兄が俳優の若山富三郎と言うのも有名ですよね
 
2人は終生仲が良かったそうで2才違いの兄を
勝さんは大好きだったそうですよ
 
ある役者の芝居を勝新太郎が叱ろうとした時
その役者が「若山先生の言われた通りにしたんですけど・・・」と答えると「あぁそう、お兄ちゃんが
そう言ったの・・・」と、途端に機嫌が直り叱るのをやめたそうです、笑
 
俳優の石原裕次郎さんとは大の親友だったそうでお互い「きょうらい(兄弟と言う意味)と呼びあっていたそうです
 
ある酒宴の席で2人が喧嘩になった時慌てる周りの者を尻目に頃合いを見た勝さんが
「いい芝居だったな、きょうらい!」と声を掛け
裕次郎さんが
「あ、ああ、いい芝居だった」
と応える事で喧嘩その物を周囲を驚かすための芝居と見せかけ互いに手打ちにしたそうです
 
とてもカッコいい話じゃありませんか
本当の親友だったんでしょうね~
 
イメージ 8
1990年あの有名な下着にコカインを入れていて逮捕された時も理由を聞かれ
 
「気付いたら入っていた・・・」
 
ってしらを切り逮捕後の記者会見では
 
「今後は同様の事件を起こさないよう、もう
パンツは履かないようにする」
 
「なぜ、私どもの手にコカインがあったのか知りたい・・・」
 
ってとぼけ通し、結局誰から薬物を受け取ったかについて最後まで口を割らなかったそうです
 
まあ書きあげればキリがないほどのエピソードを持つ勝さんですが事業に失敗してお金がない時も借金してまで後輩や友人に奢っていたそうです
 
そう言った人柄から勝さんの死後、莫大な借金が残されていたが香典代わりに債権放棄した債権者が続出したそうです
 
 
そんな豪快な勝さんも1996年に下咽頭癌に侵されます
手術せず抗癌剤治療を受けながらテレビ出演等されていましたが1997年に帰らぬ人となってしまいました
 
享年66歳、昭和の時代を駆け抜けた大スターは静かに生涯を閉じたのであった、ジャンジャン!!