以前、ちょっとうさんくさい話 という記事で、LモードとRモードというものがあることを紹介した。そして、その記事のコメントで、「レベルが高すぎる」という指摘を頂いた。レベルが高すぎるとは、すなわち、レベルが高すぎて内容が理解できないということだろう。しかし、内容が理解できない文章というのは、えてして、内容そのものの難しさよりも、むしろ、文章の書き方が悪いからであることが往々にしてある。そこで、今回、その記事を全面的に書き換え、より分かりやすい記事にしてみようと思う。
さて、では本題。
脳の機能に注目した際、左脳的な機能と右脳的な機能というものがあることは、ネットやTVなどでも良く議論されていることである[1]。このことはある脳患者の研究によって示唆されている。この研究では、患者の脳梁は手術によって切除されている。脳梁は左右の脳をつなぐ架け橋のようなもので、脳梁を失ったこの患者は、左右の脳が別々に動作しているといってよい。さて、この患者の左右の目に色々なものを認識させるとどうなるだろう。結果は、右目(左脳につながる)は文字がより良く認識され、左目(右脳につながる)は具体的なものの形などがより良く認識されるという結果になった[2]。この結果から、左脳は文字を、右脳は具体的なものが処理されている、という結論を出している。
左脳と右脳はそれぞれ違ったものを処理していることが分かった頃から、次のような説が出回った。ある人曰く、(a)仕事や学業などの活動で多く用いられているのは主に左脳の処理である。一方、運動やレジャーなどの活動では右脳の処理が主になる。またある人曰く、(b)人間は左脳型人間、右脳型人間の二つに分かれる。このうち右脳型人間は天才と呼ばれる資質をもっているが、少々行動がおかしいところがある。等々。
この(a)も(b)も、おおよそ正しそうだが、実は一部正しくない部分がある。正しくない部分とは、(a)人間の脳は常に全体が用いられている。つまり、仕事や学業などの活動でも左脳だけが機能しているのではない。脳梁を切ってしまった患者と、健康な人を安易に比較するのはよろしくない。(b)人間はこのように分類できるものではない。ときに左脳型人間として見えた人が、右脳型の振る舞いをすることがあるように。(ここから、一つ重要な示唆が得られる。天才と呼ばれる資質は誰でも持っている、ということだ。)
人間の脳は、左脳の機能と、右脳の機能と呼ばれている2つの機能の両方を持っている。ということが分かったが、直前の議論により、左脳とか右脳とか呼ぶと混乱を招くことが分かった。そこで、それぞれの機能に名前を付けることにする。いわく、LモードとRモードである。人間は、この二つのモードを切り替えながら、生活しているのである。
LモードとRモード、それぞれのモードは次のような特徴を持つ[3]。
Lモード:言語的、分析的、象徴的、抽象的、時間的、論理的、計数的、理論的、直線的
Rモード:非言語的、総合的、具体的、類推的、非合理的、空間的、直感的、全体論的、非線形的
いっぺんに大量に書いたので混乱があるかもしれないが、丁寧に見ていこう。
Lモード
Lモードの特徴は仕事や学業などの活動で使われるものである。このような活動では、言語を理解して(言語的)、内容を分析し(分析的)、あるシンボル(丸や四角など)で物事を表現する(象徴的)。また、物事を抽象的に表現する(抽象的)、時間を守る(時間的)、論理を組み立てる(論理的)、計算や数値の比較を行う(計数的)、理論を理解する(理論的)、物事を順番に処理する(直線的)。
人類が他の動物たちと大きく異なる点が、このLモードである。動物はLモードを持たない、すなわち、「ことわり」を持たないのである[4]。Lモードによって、人類は動物と決別し、文明社会を発展させた。この点において、Lモードは文明を維持し、発展させるためには必須であることがわかる。これが、社会でLモードが重視される理由である。たとえば、論理的思考がこれほどまでに必要とされることなど。
しかし、Lモードには2つの弱点がある。一つは動作が遅いこと。そしてもう一つは、創造性が無いことである。前者の弱点は、Lモードが物事を順番に処理するということから来る。順番に、一つずつ、できたことを確認しながら進んでいく。できなければそこで止まってしまう。確認と停止がしばしば必要なので、あまりスピードが上がらないのである。TCPプロトコルが遅いことを思い出してもらいたい。一方、後者の弱点は理論的、分析的であることから来る。理論や分析は、現実に起こったとされることについてのみ考えるものであり、未来については予想してくれない。ただし、推論によって新しい知見が得られるということはあるが、あまり現実離れしたものを生み出す期待はできないだろう。
Lモードは重要だが、それだけでは今のままである。社会に新しい風を吹き込み、閉塞感を打破するのはRモードの仕事となる。
Rモード
Rモードは運動やレジャーの活動で使われると書いた。これ以外にも、アイデアをぱっと思いついたり、パターンマッチングを行うのもRモードの仕事である。パターンマッチングは、たとえば、他人の顔をみて、それが誰の顔か判断するといったときに行われる。それも無意識的に行われる。実は、Rモードの活動は、意識的にコントロールすることができないという弱点を持つ。
Rモードのもう一つの弱点は言語の処理ができないことである。Rモードが言語の処理ができないことは次の例を考えてみると分かる。他人の顔をみて、それが誰の顔か判断するといったときを思い出そう。そのとき、その人の顔の特徴を「言葉で」表せといわれると、全くできないのではないだろうか。
Rモードは非常に気まぐれ(無意識的)で、かつ幼稚(非言語的)な機能である。しかし、RモードにはLモードの弱点を補完するかのように、創造性があり、かつ一瞬で処理が行われる(直感的)特徴がある。創造性は、問題解決においては必須である。問題解決は、直感的なひらめきがあってこそのものである(もちろん、それを人に説明するとなると、Lモードを使って論理を組み立てなければならない)。一瞬で処理が行われることは、「考えていられない状況」での意志決定に役に立つのである。「考えていられない状況」とは、例えば、スポーツの激しい競り合いの最中、楽器のプロが高速で演奏をするときなどに当てはまる。これらの状況では、また、身体が無意識に動く。これはRモードの無意識的な特徴のためである。
Rモードは学習においても非常に効果を発揮する[3](学業と学習は分けて欲しい、前者は試験活動のことをここでは主に指している)。Rモードの学習では、Lモードではカバーできない部分が行われる。それは、たとえば、反復演習によって何となく分かるようになったり(パターンマッチング)、寝て起きると分かるようになっている(睡眠時にはRモードが無意識的に働く)といった現象を上手く利用する学習である。一種、裏技的な方法と思われるだろう。これら以外にもいろいろな方法がある[3]。
まとめ、および補足
ざっくりいうと、Lモードは論理、Rモードは感覚のモードとも言えるだろう。だが、実際はここまで区別されるわけではなく、Lモードで自分の感覚を説明したり、Rモードでも論理を直感的に認識したりすることはもちろん可能である。人間の脳はこれら二つのモードを協調させて使っているからだ。だから、どちらかのモードを無視することがあれば、そのときは人間の機能が少なくとも50%は失われることになる。これは非常にもったいないことである。しかし、社会はLモード偏重であるので、Rモードはしばしば無視されるものである・・・。
実際はLモードもRモードもどちらも大切である。Lモードだけに頼る生活では、新鮮みが失われ、つまらない日々を送ることになる。一方、Rモードだけに頼る生活、それは放埒で、自己矛盾的で、破滅的なものになってしまうだろう。
だから、普段Lモードの活動が多い人には、Rモードの活用をおすすめする。Lモードの論理的な生活に息が詰まりそうになったら、Rモードで絵を描いてみたりするのも良い。Rモードを活用した絵の描き方は[5]が詳しい。この本は、Lモード、Rモードという名前を初めて使った本でもある。
参考文献
[1]一例は:http://kanasoku.info/articles/32639.html
「右脳 まとめ」などで検索するとたくさん引っかかる。[3]リファクタリング・ウェットウェア:http://www.amazon.co.jp/dp/4873114039
[2] http://www.h5.dion.ne.jp/~terun/doc/noubun.html
自分はこの本が相当気に入っているので、しょっちゅう紹介している気がする。
[4]ニコマコス倫理学:http://www.amazon.co.jp/dp/4003360419/
1097b:35-1098a:4
[5]脳の右側で描け:http://www.amazon.co.jp/dp/4309273742/
模写はRモードによって行われる