生きる価値を見いだせなかった自分

未熟だった

家庭が違えば生活環境も違う。

理由付けしてしまえばそれまでだが、

これまでの私には納得がいかなかった。

疑問を抱くばかり

答えが出るわけもなく
ただひたすらに悩み続けた。

それでも答えは出るはずもなかった。

時が経過して疑問を持つことをやめた。

それはある理由があったからなのだが

かなり精神的に弱かった。

観点を変えれば容易に同じ環境でも上手く対応が可能なのに。

それがかつての自分には出来なかった。


自分という存在を否定することで私は楽になれた。

これは私ではない。
だから頑張らなくて良いと。

自分という存在に意志があることを
否定することで苦しみから逃れた。

その代償が

そのことでの代償が

私へのコンプレックスになった。

今は差ほど、気には止めていない。

しょうがない。
この言葉で片付ける。

苦悩することに疲れたんだ。

過去を振り返っても充実性なんてほんの一部。

だから今を見いだすしかない。

これからの結果を出すために



これを体験した人間ではない限り
気持ちなど汲み取ってくれる者などいない。


同情が関の山だ。

可哀想に…
たいそう、辛い思いをしていらっしゃったのですね。

そんな言葉をいつかかけられた。

かつての恋人…
そして相談者



他人は他人。人事でしか過ぎない。


何通りもある確率の中に今があると仮定して

世間でいう一般の平均的な家庭で生まれ育てば本来の状態はどうであったのか。


そこに行き着き私がどれだけ悩んだか。


それが中学時代だな。


今ある現状を受け入れ、これからを考える。


代償など払わぬ生き方。

後悔が残らない生き方。

そして、少しでも自身を謳歌出来るような生き方。


もう自身の意志や存在を否定しない。