近頃は深々と人生を考えなくなった。学校生活でも日常にでも脳裏にうずめくくらいで鉛ほどの重さを精神にかけられてきたのだと思う。そのため、時よりその負担で憂鬱になった。結論に至るまでに諦めの定理が完成しており、そこで断念してしまうのが敗因である。


 話は戻って環境における微々たる変化が私をそうさせたのだろうか。何も考えずにいるわけではないが曖昧な目的にあえてぼかすことによって気の疲れや精神面で安定を図れるようになった。以前は可笑しいくらいだった。悲観に陥るといった根本的要素における私の概念は上手く消えつつあるのかもしれない。



 あでゅ