自分はこんなものだと価値をつけてしまえば楽になる。所詮、安価なものだと割り切った。苦闘から解放された代償に疎かになった努力は今となって私の重みになっている。



 だが、動けるだけ良い。労働できるだけ、うずくまって塞ぎ込むよりは良い。



 懸命になるほど辛いがそれは幸福を求めるがための段階で生じる過程だからだ。



 努力したものが楽になるのは当たり前だ。それを踏み台に次々と階段を駆け上がるからである。息が切れるまで登り続ければそこには到達出来るだろう。



 断念した奴は脱落者だ。途中で歩みを止めてしまうものもだ。執念と意欲が不可なのだ。