日本人は愛されたくて、認められたくて、役に立とうと頑張っちゃうんですよね。
その根底には
「他人の役に立たない役立たずな自分は認めてもらえない。」
という前提が潜んでいるのです。
人間は、子どもの頃、親の愛を受ける事は生き残るために必要で、それがなかったら死んでしまう弱い生き物なんです。
だからこそ、愛される事は何でもやる。
必死に。
どうやったら愛されるんだろう?
この訓練ばかりしています。
そんな中で、親の教育を受けながら
親の言うことを聞けなければ、愛されない
役に立たなければいけない。
という考えを身に付けます。
そうすると
×な自分はダメだ
○な自分が認められる。
×な自分になってはならない
○であり続けなければならない。
こうなってくると、自分が×であることを認める事も出来なくなってしまいます。恐ろしくてね。
そんな自分でも、本当は愛されるんですけど
そんな世界、知る由も無い。
なぜなら、思い込んでいて、そうなった事がないから。しかも、そうだと思い込んでいるから、愛されてもそうだと認識さえできない。
そんな状態になってしまます。
そもそも、無条件、ということは、×も○もない、どちらでもいい状態なのに、自分自身が×な自分が怖くて、×であることを認められないから、×でもいいと思えないから、
×を認める以前の状態が生まれてしまうのです。
×でない自分を必死で維持しようとするから
そもそも自分は×ではない、と思っていて、
×を認める必要性が生まれない。という事が起きます。
そうなってしまうと、×でも良い、という考えに及ばない。そもそも許す必要がない。
他人を許せない。
なぜなら、自分を許してないから。
在り方として、許す在り方にないから。
自分を許してないから、他人も許せない。
許すためのステップとして、
そもそも、自分は弱くてダメな存在であると認める必要がある。
もう今まで×だと思っていたそれが、自分のことだと知る事です。
もうダメでダメでどうしようもないのが自分であり、人間であると思い知る事です。
その領域に到って、はじめてそれでもいいと認める事が可能になる。(認めるべき存在としてのダメな自分を存在させる)
そこで、それでもいいと認めた時、はじめて無条件愛する事が出来る。
その過程を経て、
そもそも○も×もなかったんだ、と知るのです。
だから、最初の一歩として、自分がそうなってはダメだと思っている事に、自分は当てはまっている事を認めることが必要なのです。