ルールに縛られるのか、利用するのか。 | 悟り人のつぶやき ~元塾講師が語る悟りの世界 山崎修一のブログ~

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ウェルカム!

私達はルールの中で生きています。


ルール、法律、モラルなど

さまざまありますが

いずれも、人が作った物であり、


「混沌の状態から秩序を生み出すために作られた物」

という見方をしたときに、

人間という高度な知能を有する生物が存在しない自然状態では、

存在していないはずのものでもあります。


サルが進化した果てに、高度な知能を有するが故に生まれた物であると言えます。


その中で生まれ、その中で育った私達は、

それがあるのが当たり前であるかのような感覚を持ち合わせているかも知れませんが

「本来、人が動物として生きていたこと。秩序がなかった時代のこと」を

前提として考えてみると、

案外、人の悩みは

人が作った秩序やモラルなどが原因になって生じているのだということに気がつきます。


「~でなければならない」


人の悩みの原因は、この一言に大多数が集約されるのではないかと思います。


「~でなければならない」と思っている事があって、

それに反する現実が目の前に現れたとき、

人は苛立ちや、怒りを感じます。


「時間に遅れてはならない」→「相手の遅刻に腹が立つ」

「目上の者は、敬うべき」→「敬わない相手に腹が立つ」

「飲食禁止」→「そこで飲食している者に対し、腹が立つ」

「電車内では化粧をすべきでない」→「電車内で化粧をしている人に対して腹が立つ」


これらの例からわかるように、「~でなければならない」と

本人が強く思っていればいるほど、そうでない現実に苛立ちを覚えます。

また、本人が、

「本当はそれをしたいけれども、ルールだから、仕方なく守っている」

ような状態の時、それを守っていない人間に対し、強く苛立ちを覚えます。


本当は、自分もしたい。

だからこそ、「~してはならない」というルールが本人に重くのしかかります。

故に、それを守っていない他人を見たとき、理不尽さを感じ、苛立ちが生じるのです。

また、それを強く思っているほど、それを遂行出来ない状態になった自分に焦りや不安を覚えます。

「遅刻したらどうしよう」「本当は飲食禁止なのに、何か食べる罪悪感」など。



「~でなければならない」ものなど、この世に存在していない。

この視点に立ってみたときに、

心はかなり自由になります。

気持ち的に縛られる物が何もない状態。

言い換えると、

「執着から解き放たれた状態」

こうなれたとき、人は怒りから解放されます。

不安からも解放されます。


そうなれたとき、人は許すことが出来るようになります。

「~でなければならない」がないから、怒る理由がないのです。


私達は、秩序があるおかげで、ある程度の安全を確保して社会生活を営んでいます。

秩序があるおかげで、お互いに快適に過ごしています。

秩序の元々の目的は、それであるにも関わらず、

秩序に縛られるようになったときから、それが原因で悩みを抱えることになったのです。

秩序があまりにも当たり前の物として定着し、「本来、なかったものだ」という事を忘れたが故に

それに縛られ、苦しむことになったのです。


快適な生活を営むために、お互いに必要なだけ、ルールを守ることは大切なことですが

不要なところでまで、それを意識するあまり、怒りを感じてしまうことは、

本来、快適な生活を生み出すためのものであったルールを

怒りを生み出す物へと変容させてしまうということであり、

せっかくの人類の叡智が勿体ないような気がしますね。


ルールに、縛られるのではなく、

ルールを理性的に利用して

人間らしく、快適な生活を営めるといいですね。