面倒臭い本みっけ..物語論で読む村上春樹と宮崎駿―構造しかない日本
というより、この作者大塚英司に現代を見た感が..
昔、こんなことばっかり言ってる奴はいたけど、それは、まぁ未来ある学生の特権ってことでね。
しかし、これが社会人でも許されるということは、どう捉えるべきだろう。しかも出版され、経済活動の中で成り立つんだから、ちょっとわからないな。
いくら多様性が許容されている現代とはいえ、経済活動も多様化したものだと、そこは納得しておこう。
ただ物語論て何?私発想から展開(可能性)をつないで体系なんて誰も言わないし、はてな。
日本が優位なのは、戦後直向きに労働して、生産し続けてきて、結果としてお金蓄えているから。
遊ぶ時間がないとお金は使わないのです。だから、当たり前に残ってしまうのですよ。
けれど、運用する(お金を働かせる)術が乏しいから、運用出来るところへ預けるんです。個人だって、法人だって、そして国だって..
お金に理屈はいらない。ましてや所有者が未熟な未成年だろうが、明日をも知れぬ老人だろうと、兌換の保障はそれがグローバル・スタンダードであることを否定する人はいないよね。というか、否定する人イラナイでしょう。
「欠損した私」=未熟?が解らない。そもそも87%脳細胞欠損して生きているだろう。一生使わないんだから同義だ。
やば、本気っぽくなってきた..
止めよう。
何故か。フィナンシャル・プライバシーは誰であれ説明する必要がないからね。
さて、村上春樹さんも宮崎駿さんも、表現手段は異なってもアーティストに括られる方々だろう。
その作品を売って生業にしている..経済活動を組織だってしっかりやっているわけです。ただ作品は感性で作ってんだから、評価は感性でされるよね。これもある意味「トレード・オフ」だ。また実際、多くの人の感性に受け入れられたから、売れたんだろう。
そこに知性が必要というなら、受け手自身が何故自分はこの本が好きなのか、映画が好きなのかを考えてみることだろうね。
大塚英司は「吉田拓郎」を改めて聞いてごらん。
出来れば、「ぼくの一番好きな唄は」なんかをね。何か感じるだろう。内から来る叫び..自分の叫びをいつでも持つ..
月に向かって..
今日の触角..1. 苛立ちを文体に忍ばせて理屈を表現すると、受け手は先ず「苛つく」
2. 面倒臭いとは、人に対する感情だ