面白い話、不思議な話、ワイルドな話 -72ページ目

面白い話、不思議な話、ワイルドな話

自然を愛し、山を愛し

人を愛した賢者です。

表にはあまり出ることを

望まなかった

隠れた賢者の

言葉を書いてみます。

ばんしに
電話をかけて

色々質問した。

なぜ行かれた事もないのに
場所がわったのですか?

「それは私の心にそういう風景が
現れるから、私は素直に言葉に出すだけだ。

まあ、私の影だな(陰)が私に教えてくれる。」


「だから、こんなことも出来るよ。」

 「お前の知っている人で、私の知らない人。

たとえば会社の同僚でもいいから心に思い出して見なさい。」

 

言われたとおり会社の人を2分くらい思い浮かべた。

 

「はい。もういいよ。」

「その人はやせた人で、頭は堅めの髪の毛を左から右に七、三に分けているな。

年のころは40台前半だ。」

 

「人を呼ぶ時、アーちょっと、ちょっと、これをこうしてくれる。

というような仕草をするな。」

「歩く時は右肩を少し下げて、ちょこちょこといった
歩き方をする。」

「そして、この人の現在の最大の不満は給料が安い。

これだけ自分は
会社に尽くしているのだから、社長はもう少し自分に
給料を払ってもいい。

他のものより自分は頑張っている。」

「そう思っていいるよ。」

 

まさに彼はそのとおりの仕草をよくしていた、姿も顔の様子もばんしの

言ったとおりだった。

給料の事は本人が口に出したことは無いので

いつかチャンスが来たら聞き出そうと思った。

普段は不満のなさそうな態度をとていたので。

 

「何でそんな事がわかるんですか??」

 

「それは、お前が心に浮かべるからそれを私の心に写して見るとわかる。」

 

「でも、普通はわかりませんよ。」

 

「それは心が磨かれていないというか、迷いがある心だから無理なんだ。」


「自分に素直になって心を見ればわかるものだ。
ちょうど心は鏡のようなものだ。

 

「一つの鏡に映るものをもう一つの鏡に写して見ることが出来る、
それとおなじように心を写すのだ。」

 

「今のは天の心に写した。土(地面)の心に写す事も出来るよ。」

 

「例えば、胃のところに少し不快感があるのと、
右の肩の首に近い部分が少し痛いな今、お前は。」

 

そう言われて考えてみると、バイクで遊んでいて転んだ時、
肩を打ったことを思いだした。

胃の部分はちょくちょくなる不快感だった。

 

「体のことまで分かるのですか?。」

 

「天地人、というな。天が心なら、地は体肉体だ。

体を写せばその人の痛いところや不快な部分も分かる。」

 

このようなことがも出来るのか・・・・恐るべし。」

電話でこのような現象を見せられると信じるしかなかった。

否定するだけの材料がなかった。

早速
あわてて、ばんしに電話でそのことを話した。

「やっぱりな・・・。」


「その場所はお前の実家のほうだな?。」

「はい。そうです。」


「これも玉だ。」


「おだいしさま」と呼んでいるということは

空海(弘法大師)のことだな。」

年代的には玉と呼ぶには少し新しいが、
偉大な祖先、玉だな。」


「どうして、自分を呼んだのですか?」

「お前にそのことを知って欲しいということだな。今、場所は
このようになっていることと、古くから続いてきた場所を
人間の都合で勝手に移動されたことを知って欲しいということだな。」

「自分はどうすればいいのですか?」
「何かをしなさい。ということですか?」

「いや、知ってあげればそれで手首の痛みもおさまるはずだ。」

「それじゃ、お大師様が自分と一緒に居るってことですか?」

「うん。体の心の中に存在するということだ。氏神様とかいうものも
同じことだ。その土地に生まれた時から、自然の心が
その人間の体の心に存在しているのだ。」

「それじゃ、自分はお経をあげるとか、お坊さんに何か教えてもらうとか
する必要がありますか?」

「そのようなことは、しなくてもよいが思いだしたときに

南無大師遍照金剛と言ってあげなさい。それだけで良い。」


ばんしに、そう言ってもらい
安心したが、なぜ
場所がわかったのか?

見てもいない場所がどうして手の形で、ばんしにわかるのか?
自分の体にお大師様の心が存在するということは
どういうことなのか?

2,3日で右の手首の痛みは嘘のように消えた。

無神論者を貫く

神、仏にすがるような
そんなやわな、自分ではない
そう思っていた気持ちが

少しずつ、ぐらつき始めた・・・・・・・。








ばんしのところから帰っても、正座はずっと続けていた。

体の調子も以前より良くなっていった。
発作の回数も明らかに減った。

そんなある日、何も別にしていないのに
右手首が痛くなった。

別に怪我も何もしていないのに痛くなった。

 

少し日にちが過ぎれば自然に治ると思っていたが、
同じ状態が
続く。

すぐ病院に行かなければならない程でもない。

 

ばんしの言った

「これから色々と起こるだろうな。」

 

この言葉が気になった。

 

もしかしたら、自然が何かを教えているのかな。

 

そんな気がして、ばんしに電話をかけた

 

「何もしていないのに、右の手首がずっと痛いのですが、
何か意味が有るのでしょうか?」

 「・・・・・・・あるよ。」

 「どんな意味でしょうか?」

 

「右手の手首、小手というんだ。小手の意味は招くという事だ。

・・・・・・何処かに来てほしいという意味だな。」

 「誰が呼んでいるのですか?」


「・・・自然だ。」

 

 

「右手の手の平の指をそろえて真直ぐ上に向けると

人差し指より親指が下になるな。

4本の指が山のような場所で

親指が道路のような場所に

 神様のような存在が、お祭りされているような場所を知っているか?」

 

「山を削り横に道路があって、神様を待っている場所ですか?」

 

「実家の方ですか?」

 

「多分そうだな。」

 

頭の中を色々な風景が飛び交った。

そうだ有る。

子供の頃よく遊びに行った場所で

「おだいしさま」と呼んでいた。

 

「あっ。あります。

実家の近所の、おだいしさまと呼んでいた所です。」

 

「おう、あるね。

今度そこに行ってみると多分手首のことは収まると思うよ。」

 

「そうですか、ありがとうございます。」

 

電話を切って不思議に思った。

何で手首が招く意味になるの?

 

どうして手の形で場所がわかるの?


こじつけ?

 

わけがわからないが

日曜日に車で行った。

 

驚いた。新しく道路が拡張工事されていて

昔の(おだいしさま)が消えている??。

 

どうした??。

実家に帰って(おだいしさまの)事を聞くと、


「カーブを曲がって山側の左上に工事の人たちが移転させたの。」

 

母親が言ったので、もう一度見に行ってワーッ、驚いた。


カーブを曲がってすぐ見えたのが

 

右手の指をそろえて上に向け、

これが切り開いた山側の風景に重なり、

土を切って作った段の状態が親指の部分に重なって見えた。

 

小さいお宮のような建物が親指の部分に乗っかって見える。


そこに(おだいしさま)が

移動されていた。

 

わー、
まるで右手の手のひらを上に向け指をそろえた形になっている。

そう見えるー、見えるー。