面白い話、不思議な話、ワイルドな話 -17ページ目

面白い話、不思議な話、ワイルドな話

自然を愛し、山を愛し

人を愛した賢者です。

表にはあまり出ることを

望まなかった

隠れた賢者の

言葉を書いてみます。

自分で動かそうと思ったのか

手が勝手に動きだしたのか、自覚できなかったが


自分の手なのに、自然に
両手が胸の前で合掌する形となり、
両方の手のひらを上に向けた。

それから徐々に上に動いて、手のひらに何かを乗せてもらうのを
待っているような姿勢をとっていた。

頭を下げてお辞儀のような格好をしていたように思う。

目は閉じたままだが
たぶんそのような姿勢をしているだろうと
想像していると


数分後、何か明るさを感じた
目はずーっと閉じたままだったが


天井のあたりから
何か丸いものが見えてきたように感じた。

あれっ、と思っていると
大きさはピンポン球位で、光る玉が出現した。


見えているわけではないのだが
そんな感じがしているのだった。


両方の合わせた手の中心に、上から光る玉が降りて来たのだ。



両手でその玉を大事そうに包み込んで
胸のところにそーっと持って来た。


すると、光の玉は
胸から、フワーッとした感じで
自分の体内に入ってしまったのだ。



「ウオーッ。これは、自分の妄想か?」

正座の姿のまま、ただただ驚いていた。




両手の動き、胸のところに持ってきた動きもわかるし、
光の玉を感じた。

綺麗な光を放つ玉だった。

しばらくすると、
妙に落ち着いた気分になっていた。



風で波立っている湖の水面が
無風状態になって、鏡のように
平らになって、静まりかえっているようだった。



この正座の瞬間は
自分にとっては衝撃的な
事件だった。


来る日も来る日も
意味もわからず正座して

この事にどのような意味が有るのだろう??

そんな事思いながら
足のしびれと戦ったりしていたのだから・・・。


神とか、見えない世界を
否定していた自分にとって
益々理解の出来ない事件となった。

又、ばんしの所に電話したいな・・・


でも人の妄想かも知れない話を、忙しく
しておられるお父さんに
電話するなんて・・・・

しかし、


電話しようと決心した。



思い切ってダイヤルすると

「久しぶりだね。何か変わったことがあったか?」

電話がつながるとすぐ聞かれた。
自分が電話することを、読まれているのか??


光の事を話すと、それまで自分がしゃべることを黙って聞いてくれていた
ばんしが急に大きな声で

「よかった!よかった。それは良かった!」

「いやー、良かったな・・・・。」

何度もこのせりふを言ってくれた。



一体なんだ???どうしたんだ??


「これは良かったことなのですか?」



「自然が一つの力をくれた。そういうことだ。」



「これで、、喘息も治るかもしれないな・・・。」



つぶやくように言われた。

「そういう気持ちで生きていることが病気の原因ですか?」

「自然の目から見るとそうだな。」

「きつい薬の副作用とか、化学物質が原因でなる場合もあるが、そうでない理由はわからないが、小さいころから病気が続いているような場合は、
本人の気持ち、心がけだな。」


「喘息という病気は苦しい、なった者でないと理解できない苦しさがある。」

「それは私も良く知っている、うちの家内も喘息を持っているんだ。」



「そうですか、奥さんも。」


「それじゃ喘息という病気は治らないという事ですか?」

「治るよ、いくらでも。ただ家内は私の言うことを聞かない。」


「だから私も力を貸すことが出来ないのだ。」


「自然は求める者には、与えられる。しかし、求めない者には与えられない。
いくら私が家内の病気を治したいと思っても、
本人が健康を求め、自然に対する心構えを変えない限り病気は治らない。」



「自然社会には掟というものがあるんだ。
私がどのように祈ろうと、夕方になれば太陽は沈んでいく。

一生に一度のお願いですから今日だけは太陽を3時間遅れて沈ませてください
と願っても、自然は待ってはくれない。これも掟だ。」


「それじゃ、喘息を治すにはどうすればいいのでしょうか?」



「それは、座ることだ。」



「5分間でいい。」




「どこに座るんですか?」


「どこでもいい。神棚の前でも、なければ壁に向かって座ってもいい。」


「毎日、朝起きたら5分間、夜眠る前に5分間座ることだ。」



「正座ですか?}

「そうだ、正座だ。」


「友達にそれを言ってあげなさい。

でも・・・・、しないだろうな、続かないだろう。」
と言って笑われた。



「家内にも過去に言ったことはある。

しかし、3日程は正座をするが、いつの間にか途中でやめてしまう。」


「こんな3日坊主では駄目だな。」


「私がいいと言うまでずーっと続けるような根気があれば治るけどな。」



「わかりました、友達にそれを教えてあげます。ありがとうございました。そう言って電話を切った。」



今日までそんなに感謝をしていないかな???


太く、短く、華々しく生きて
ぽんと死んだらそれでおしまい。後は無だ。


そんな考えを持っていたのだから
感謝とかしていなかったのだろうな。

親が子供に何かをしてあげるのは、生んだのだから当たり前だと
思っていたなー。

友達が何かをしてくれたら、ラッキー、ついてるー。
なんて軽い気持ちだったなー。


誰でもそんなものではないかな
なんて思ったが

せっかく教えてもらったのだから
今日から毎日、正座をやっててみようと思った。


でも、そんな簡単な事で治るように思えなかった。

何回、何十回、と色々な病院に行ったことか。


病院はもとより、神社、仏閣、はては
ご祈祷、霊能力があるといわれる人達の所まで、

様々なところを
歩き回ったのだ、子供の頃から。



すべての期待は裏切られ
20歳を越えてもまったく良くならず同じ状態で発作が起きた。



そこで、自分の信念が出来た。

生きているうちに、したいことをしておこう。
死んでからでは遅い。

この世に人を救う神など存在しない。

苦しみを取り除いてくれる人はいない。

苦しみは他人に理解されず、ただただ耐えるだけだ。
限界になれば
強力な薬を使うだけだ。


そんな星のもとに生まれた自分を呪った。生んだ親も呪った。


生きているうちが、華。そんなおかしな信念に固まっていた。


頼りになるお医者さんとか、神様とか
人間とかいない。


孤独で耐えるだけだ。誰にも知られないように、
誰にも自分が病気を持っていることも悟られまい。

そこまで、すさんでいた。


なのに
正座をすれば治る、健康になる。
理解できなかった。

しかし、他に方法もない。


だまされたと思ってやるしかないか。



絶対に3日坊主にならないと決心した。
これは最後の希望だというような、
悲壮な覚悟でもあった。


その日から
朝と夜
正座をする事に決めた。



ばんしは、正座の時別に何も考えなくてもいい、
ただ座るだけでいい。

そう言っていた。

しかし、その正座が簡単で、楽では無かった。

頭の中を雑念が渦を巻くのだ。
「バカなことはよせ」

「意味がない」

「こんなことで効果があるはずもない」

そのような言葉が頭の中を駆け巡った。

1ヶ月が過ぎた

毎日続けた、どんなことがあっても正座だけはしていた。


日記を書くことにして
どのくらい健康な日が継続するか
記録していった。


でも1ヶ月の間に
1回くらい発作の兆候があって
きつい薬で
ごまかした。


寝込むことはなかった。


数ヶ月続けていた有る夜
いつもの通り

正座をしていたら


腕が勝手に、少しずつ動き出したのだ・・・・・。



自分の意思とは無関係に・・・・
いいね!

今までは、自分の病気のことなど
誰にも話してはいなかった。

学校を休んでも、風邪だと言って、適当にごまかして、
本当の事は言った事がなかった。


あのお父さんなら
何か解決策でも
持っているのかもしれない。


でも、自分の弱点をさらけ出す事はいやだった。

友達にさえ、持病をかかえて、薬をお守のように持っていることなんか

一度も言ったこと無いのに・・・。

 

 

数日考えた。

 

 

 

後ろの目には見えない存在が病気と関係するかな?



無駄なことをするだけかな?



 

神とか霊とか、そんな見えなものをあてにする、

ひ弱な精神状態がだめなのか?

 

 

 

病気のことは、誰にも相談する人もいなかったので

電話をしようかどうか迷っていた。

 

 

自分のことではなく、友達が悩んでいるという事で

質問をすることにした。

 

 

 

 

数日後、おもいきって電話した。

 

 

 

「もしもし?」

 

 

 

「この前は遠いところご苦労さんでした。無事に帰れた?」

 

例のごとくかける前に自分だと読まれているような話しぶりだった。



軽い挨拶の後、


 

「ちょっと質問なのですが、

病気とかも後ろの存在に関係があるのでしょうか?」




 

「友達が悩んでいるのです・・・。」



 

「あるね。持病だなんていう病気を持っている人もいるが、

後ろの存在が本人に何かを気づかそうとしている場合もあるよ。」

 

 

 

「友達は子供の頃から喘息を持っていて、大きくなっても治らず

20歳半ばでも発作が出るらしいんですが・・・」



 


「喘息か、喘息になるという事は、感謝する気持ちが無いと起こるんだ。」

 

 

 

「どういうことですか?」

 

 

 

「親が何か自分のためにしてくれても、

友達が何か自分のためにしてくれても

それが当たり前だと思って生きているんだ。人が自分にしてくれる
行為をあたりまえだと思っているのだよ。」




「食事を食べても食べるのが当たり前。」



 


「こうった気持ちで生きていると、自然は本人に感謝の気持ちを気づかす為に空気を止めるんだ。」

 

 

 

「空気は有ることは知っているよ、でも当たり前だと思っているから感謝はしない。」

 

 

 

「空気がなけば5分も息を止める事はできない。

その空気という存在が有るおかげで生きていられるのに

空気に対する感謝の気持ちなど少しも持っていないからだ。」



  

「神様、仏様も、有るかも知れないとは思うが、目には見えないな。

霊も同じかもしれない。普通は見えない。」



 

「見えない存在は無いとして、今生きるのは全て自分の力だ。

人が自分に対してして何かをくれることは当然だ。」



「こういう気持ちで生きていると、空気を吸わせてもらえなくなる、吐くことさえ出来なくなったりするよ。」



「へー、そうなんですか・・・・・。」

「それとともに、甘えるという気持ちが強い人にこの病気は起こるのだよ。自分が自分に甘えるのだよ。

ただ、何かの薬の副作用とか、空気中の薬物の影響で起こったような場合は違うよ。
子供のころから、この病気があって、大きくなっても同じように発作が起こる人の場合などは、自然が何かその人に気づかせようとしている場合が多いな。」

「いやなことは、病気を理由に逃げて通ることができると、
大きな勘違いをするのだよ。」