分数・小数・割合・比・比率といった分野について、続けます。

算数というより、「考え方」みたいな事です。

 

20年くらい前に、野村克也サンか藤本義一サンの本で、こんな一節を読みました。

「何でも、割り引いて考えられないとアカンで。」

 

割引率みたいな話ではなくって。

「計算が立つ事から考えよう」とか「脳ミソはプラスばかり考えがちだ」いう意味だったと思います。

 

例えば野球なら、このピッチャーは一年で〇〇勝が期待できる…ではなくて。

悪くて〇勝、最悪でゼロ勝だったら、どう準備しておく?とか。

他チームからトレードで賄うなら、何月までが期限だ?…といった方向で考えておくと。

 

あるいは。

責任登板回までキッチリ投げても、7回以降に交代ピッチャーが打たれて「勝ち負けが付かない」…という悲劇の先発投手も、けっこう存在します。

(ここ数年の中日ドラゴンズなど、このケースばかりです)

この場合、先発ピッチャーの責任は薄くて、点を取り返せない打線の問題か?とか、抑えピッチャーは良いのか?…的な方向で考える。

「ゼロか1か」「白か黒か」ではなくて、0.6までは認めても良いなぁ…みたいな。

考え方の比重・向きを変えるっていう意味で、「割合」問題みたいだなぁと解釈しました。

 

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ネガティブ・シンキングとはちょっと違うぞ?と思いました。

上手く伝わるか分かりませんが…当時のJポップの歌詞では、こんな方向の歌が多くて。

 「君がいれば1+1は2じゃない」

 「3にも4にもなる」

そうじゃないだろ?と、著者の方は言うのです。

 

1+1が2になれば良い方で、ままならないのが現実の世の中やで?と。

調子が悪くて「1」の力が「0.7」になってしまったら、もう1+0.7=1.7やんけ?と。

スポーツ選手がハラを壊して試合に臨んだり、向かい風にあってスピードが出ない、といったケースはゴマンとある。

「残念ながら、年を食えば食うほど、この傾向は強まんで?」とまで言います。

 

逆に言えば、ルックスが良くて「1.0の力」が1.5に見えるといったケースも、考えられなくもない。

こういう錯覚はバカにならなくて、所謂「映える」料理などがウケるのも、近いかな。

(料理人は頑張って見栄えを考えるので、文化的には「進歩」とも言えますよね)

悪い例では、スポーツの世界でドーピングが無くならないのも、考え方の根本としては、近いと思います。

トレーニングで1.0を1.2に持っていくのは時間がかかるので、ドーピングで20%増しちゃえ!というワケです。


ただ、いつかは化けの皮が剝がれてしまうよ?と。

足し算・かけ算ばかり考えていても、年を食ったら、何%ずつか体力が落ちていく。

どう転んでも、引き算で考える時が来る。

その何%かを補う、ペース配分とか資源配分(わり算)とか、知恵とか経験とか人脈を築いていこうじゃないか!

…という内容の本だったと記憶します。

 

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なかなか自分を「盛る」事ができず、アピール下手、世渡り下手、かつルックスにも自信が無いボクとしては、かなり勇気づけられました。

 (本のタイトルも、著者名も忘れてしまいましたが(^^;)。

上述したような考え方の比重・向きを考える・変えるといった方向ならば、不器用な人でも、出来ない事はない。

そのベースになるのが、「割合」分野なのかなぁと感じています。

 

「割り引いて考える」事について、子供も、どこかで考えねばならないでしょう。

かといって、割引し過ぎてタイパやコスパばかり追求しても、地頭や地力はつかない。

難しい問題ですが、今回挙げた様な例について、ちょっと考えてみては如何でしょうか。