リニア・鉄道館その2です。
今回は、渋く考察編。
前々回の「明治村」で、電車(汽車)の歴史に興味が出てきました。
なので今回は、歴史的にターニングポイントになりそうな電車を探索。
ボクは昭和50年生まれの48歳でして。
たしか、昭和50年まではSL(蒸気機関車)が現役で走っていたと思います。
リニア館の外には、こんなミニ機関車があったりして。
ここまでコンパクトに作る所まで進化…した上で、どうやって「電車」「ディーゼル車」に変わっていったのか?
謎の一端は、館内に展示されていた「ホジ6014」なる車両にありそうです。
先頭車両は、こんな風。
なんと、観音開きを開いて、上述した様なミニ蒸気機関を…。
どうりで、上に小さな煙突があったハズです。
ですので。
先頭車両における、所謂「かぶりつき席」は、こうなっている。
ディーゼル機関車の原型となった「蒸気動車」と言うらしい。
大正2年に製造され、昭和18年まで走っていたと言います。
(現存するのはこの1台なので、重要文化財)
この間、日本は巨大空母を何隻も運用し、アメリカと機動艦隊の決戦までしていた頃ですから。
鉄道において、ディーゼル機関を実装するのは、容易だったでしょう。
しかし戦争中ですから、油は貴重品なハズで。
こうした中途半端な車両も、現役で走っていたのだと…勝手に考察しております。
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もう一点、展示物で「おや?」と気になった車両を、ご紹介。
1961年より運用され、全国的な特急網の整備と共に、活躍。
「特急の元祖デザイン」になったとか。
言われてみれば、特急のシンボルマークである羽など、確かに受け継がれている感が。
「しなの」は子供の頃に乗った記憶があります。
その原型車両が、60年頃に運用されていたとは…ごく個人的に、郷愁にかられました。
ここから、ちょっと余談です。
子供の頃、圧倒的に格好良く感じたのは、流線型の0系でした。
しかし、新幹線ばかりが格好いいワケでもない。
同じ小学校の中にも、色々な派閥が…。
名鉄によく乗る家庭の子は、パノラマカー派だったり。
長野や新潟などにジジババがいる家庭の子は、上記した特急系統がお気に入り。
中でも尊敬を集めたのは…勿論「ブルートレイン」に乗った事がある勇者様。
ファミコンの登場直後だったため、まだ鉄道が話題になっていた時代。
学校の外では「国鉄解体→JR各社への分割民営化」が大きな出来事だった記憶があります。
JRになってすぐ、「シンデレラ・エクスプレス」的なCMが出てきまして。
流線型デザインを突き詰めた100系とか、バブリーでスカした風潮に。
その流れの中、個性的な列車群が、急速に姿を消していった記憶があります。
車のデザインも、カクカクした無骨さが消えていって、丸っこい外観に大変貌。
その分、「いかつい目」みたいに、ライトで個性を出す…みたいな。
そりゃ、丸っぽい方が空気抵抗が少なそうですが…全部ゴッソリ変わってしまうのが、昔から「?」でした。
鉄骨を大量発注するために、一斉に丸くなったのかな?と大人になったら分かるけれども。
ツマンネー世の中になったな~という感想もあったり。
1990年前後に、乗り物界に大転換があった様な気がします。
そんな事を、ふと思い出しました。
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ともあれ、大人1000円で入場できて、再入場も可ですし。
駐車場も、意外と安い。
のんびり過ごすには、いいスポットかもしれません。