火葬が終わって、

片道数時間かけて来てくれた父を見送って

我が家に帰った。


帰ってから骨壷を一番ひだまりの入る

リビングに置いた。

正直、どこに置けばいいかなんて

わからなかった。

自己満足でしかないかも知れないけど、

見える位置に、そして自分達なりに

手元供養をしようと思った。


家に帰ってから、旦那さんがいる日は

自分らしく居られた。

だけど1人になると抜け殻みたいに

ぼやーっとした日々が続いた。


元々しっかりしたタイプではないが、

買い物に行っても何を買うか思い出せずに

何も考えれずに歩いてたり

旦那さんと話す時も次の言葉が出て来なかったり

一日中ベッドで過ごす日々。

何もやる気が起きなかった。


エコー写真を見てかわいい!

って思った次の瞬間には

罪悪感で一杯になり泣き始める。

ネットの海に溺れてまた苦しくなる。

今もまだそんな生活から抜け出せずにいる。


辛かったのは、身体が戻っていく事。

膨らんでいたお腹はしゅんと

元の大きさに戻っていく。

改めて居なくなった事を実感した。


そして励ましの言葉にすら傷付いた。


「次はきっと大丈夫!」


なんで今、次とか言われるんだろう?

大丈夫って何が大丈夫なんだろう?


「もっとつらい人はいるんだから」


現状つらいのにそれで納得出来ない


「可哀想に」


思ってても本人に言わないで欲しい


2人目うんぬんは夫婦が決める事で

他の人に話題にして欲しくない気がする。


欲しくない言葉を貰う度に

今宗教とか暖かい言葉で肯定されたら

ハマりそうだな、とか考えてた。

何かに縋りたくなる気持ち。


そしてこれは私自身の問題で

不快にさせたら申し訳ないのですが、

旦那さんと買い物に行って

家族連れを見る度に「羨ましいなぁ」

って感情が芽生えてしまうようになった

きっと子供が居るのは私の想像以上に大変で

毎日気が気じゃない日々を

過ごしてるのかも知れないけど、

それでもないものねだりでキラキラ輝いて見えた


次っていつくるんだろう。

自分はこれを乗り越えられるのかな。

乗り越えた先でそれは許されるのかな。

毎日色んな感情がぐるぐるまわる。

それを考え続けるくらいなら

ずっと寝てる方がマシだと思った。

誰とも話さないで居られるなら

誰とも関わらないで居たかった。


つらい事ばかり書いてるけど、

凄く幸せだった。

凄く幸せだから凄くつらい。


毎日大きくなるお腹が愛おしかったり、

エコー写真見てかわいいって思えるかな?

って思ってたのに見て

めちゃくちゃかわいいって思えたり、

赤ちゃん服を見に行ったり、

性別はどちらだろうと話したり、

無脳症がわかってからも

誕生日を一緒に過ごせた。

生きた証を残してくれた。


自分には妊娠の機会はないと思ってた。

予兆すら一度もなかったから

不妊治療も考えてた。

だけど授かれて、沢山の幸せをくれた。

だから悲しいの気持ちが強くて

でも本当に幸せだった。