我が子が無脳症で中期中絶を選択しました。

色んなブログを拝見して、

私自身救われたのでいつかの誰かの為に

書き残しておきます。


入院3日目。


朝食を食べて9時に退院。


医師から術後の説明も特になく、

次の診察日のみ決めて旦那さんが

迎えに来るのを待ちました。


旦那さんが到着してから手続きを

全て済ませてくれてたので

紙袋に包まれた赤ちゃんを

看護婦さんに受け取って退院。

泣きたいような、

もうこれから待っている全てが嫌だった。


私が13週大事に大事に育てて、話しかけて

クリーム塗って、一緒に居てくれてた赤ちゃんが

紙袋に、小さい箱に入ってる。

その現実が痛かった。

火葬なんてしたくないと思った。


市役所に着くまでの間、膝に抱えて

着いたら日の当たらないように後部座席へ。


「ちょっとお留守番しててね」


そう声をかけて市役所へ向かった。


死亡届けを出した時、

初めて赤ちゃんの体重と身長がわかった。

何も聞いてない、と思って

すぐに携帯に書き留めた。

頑張って生きた証なんだって嬉しかった。


中絶理由は先生が気遣ってくれたのか

金銭的な理由ではなく

母体保護の為と書いていた。

性別はわからなかった。


市役所の職員さんが火葬先に連絡して、

「火葬許可発行に時間かかるので

車でお待ち下さい」


と言ったので車で待つ事にした。

待ち時間に入院費用を確認した。

出産一時金が48万8千で、入院が2泊3日。

金額は出産一時金ぴったりだった。


車の中で父に電話した。

赤ちゃんが初めて出来て出血続いてる時も、

無脳症がわかった時も、

私が片親なのも理由だけど、

なんでも話せる仲だった。

父は火葬に立ち会いたいと言ってくれていたので

15時からの予定と連絡した。


連絡が終わって火葬許可証を取りに行った。

自分達で赤ちゃんを管理するので

料金は7000円だった。


許可証を受け取ってから、

葬式に参列する機会がなかった私達は

喪服を持っていなかったので買いに行った。


買いに行って、家に戻った。

喪服を着てすぐに出なければいけなかった。


だけど紙袋に入った小さな箱をちょん、と

布団の上に置いてここが我が家だよ。って

離れたくないなって思っていた。

中身を見ようと思えば見れたんだと思う。

だけどやっぱりどんな状態かわからなくて、

見る事が出来なかった。


両手に収まる箱が可愛くて可愛くて。

そして同時に産んであげたかった、

産めたんじゃないか?

私はなんて事をしてしまったんだと、

後悔していた。