山鹿素行生誕地・直江兼続屋敷跡
この二つが同じ場所とは思いませんでした。
山鹿素行は兵学者・儒学者で赤穂浅野家に仕えていた時代があるので「赤穂浪士の生みの親」と書いているようです。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りの際、大石内蔵助が「山鹿流の陣太鼓」を打ち鳴らす、とありますね。
「山鹿素行誕生のまち」の旗を近所で見たので街自体が山鹿素行を盛り上げている様子。
石碑は東郷平八郎元帥による書との事!
会津時代の直江兼続公屋敷跡、という事はかの直江状、西笑承兌への返書はここで書かれたのか?と思うと感慨深いです。