豆腐好きの人間は、この豆腐そのものの味のする豆乳を、どれほどよろこんでいるのだろうか。
きっと、おいしいと思ってはいるのだろう。
しかし、豆乳を飲みながら「おいしい」と叫んだりはしていなかったようだ。
そして、毎日冷蔵庫にガラスのボトルに詰め替えられた自家製の豆乳が用意されているようになった。
私も、コップ一杯くらいの豆乳を飲むようになった。
しかし、私が飲んで減る分は、その一杯だけだ。
もうひとりの人間が私以上に飲んでいるという様子もなかった。
夜中には、いつもボトルに豆乳が残っていた。
豆乳とは、豆腐の固まってないやつだ。
しかし、豆腐好きは、豆乳好きではないのか?
そういえば、うちの豆腐好きさんは、いままで自主的に豆乳を買ってきていたことはあまりなかったような気がする。
自家製の豆乳は、まずくない。
それどころか、うまいくらいだ。
なのに、一日一回つくる豆乳が奪い合いになっているということはない。
なんなんだろう、この感じ。
「お豆腐もつくれるんだよね」とうれしそうに語っていた豆腐好きさんは、そのためには温度計が必要なのであると言い、近所の高級スーパーに出かけていった。
そこには温度計がなかったということで、おいしそうな豆腐を買ってきた。
買ってきた豆腐を、彼女はいつものようにおいしそうに食べていた。
もう一度、別の大きなスーパーに彼女は温度計を買いに行ったけれど、そこでも温度計はなく、また豆腐を買ってきていた。
果たして、我が家の「豆乳メーカー」は、これからどういう運命をたどるのであろうか。