私の環境もいろいろ変化した。
ごはんにうまい炊き方とまずい炊き方があるということも知ったけれど、うまい研ぎ方まずい研ぎ方があることも知った。
さらに、ごはんのもとになるコメには、うまいコメとまずいコメと、ふつうのコメと、とてつもなくうまいコメなどがあることも知ってしまったのである。
さらには、ごはんを炊くときの水が、ごはんの味をうまくもまずくもするということも身をもって知ってしまった。
先日、コメを研ぐときに使ってみてくれとある水をビンに入れてもらってきたりもした。
これが、また大きな影響あって、酒造に使う軟水の湧き水なんだけど、同じコメでもずいぶんちがっちゃうんだよ。
しかも、私は働き盛り。
コメが好きなら、いくらでも高いコメを買えるし、それについて誰も文句は言いやしない。
しかも、うちにいるもうひとりの人なんか、出身がコメどころ新潟。
「わたしは、コメだけはお金に糸目はつけたくない」
と宣言しているわけではないけれど、ちょっとでもおいしいお米を知ると、もう、地方の米屋に勢いこんで電話かけたりしちゃうもんね。
ま、相方がこういう人だから、カマ関係でもじゃんじゃん平気で買い替えちゃう。
ついこの間まで使っていた炊飯器は、「昔っぽい、単純な安ものの炊飯器のほうがいいような気がする」と、パチンコ屋の景品で入手したものを使っていたのだ。
とにかく、我が家のおいしいごはんを食べるための旅は、もうタイヘンにいろんな要素がからみあっていてなにがなんだかわけわかんないくらいになっちゃっている。
ではあるけれど、はっきりと「これだけは重要」と明解なおいしさの要素は断言できる。
それは、ごはんの原料であるコメである。
コシヒカリがどうしたの、ササニシキがこうしたなどというブランドだけじゃわからない。
その都度、同じ米屋の同じ銘柄だって昧はちがうんだから。